俵万智『サラダ記念日』を国語の授業で習った時、私にもそんな私だけの記念日ができる日が来るのだろうなと胸を躍らせた。
出会った日や付き合い始めた日とは違う、日常の中にある穏やかでささやかだけど確かな記念日だ。
そしてこれまで、私は決して多くはないが何人かの男性とお付き合いをし、幾度も『サラダ記念日』を思い出す瞬間があった。YouTubeを見ながら一緒にパスタを作った日、ラム肉を食べさせてもらった日、彼の会社の人達に混ざってフットサルに参加した日……。
私にとっての「初めて」をその時の好きな彼と経験した思い出ばかりだ。
どの瞬間もそれぞれ「×月×日は◯◯記念日」と思ったはずなのに、今、その日付を思い出すことができないのは何故だろう。

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5月25日。
誰かと付き合い始めた日ではない。どこかに初めてがあった日でもない。
ただ、仕事のお昼休みにカフェでその時の好きな彼とマンゴージュースを飲んだだけだ。
2、3回行ったことがあるカフェでの15分程度のことなのに、私はこの日のことを日付まで覚えている。
その日、私は仕事で彼の会社の近くに来ており、お昼休みに何気なく彼にそのことを連絡してみた。彼も外回りの仕事なので会社にいない可能性が高い。しかし、普段は少し離れたところで仕事をしている私達が今同じエリアにいるかもしれないという事実が嬉しかったのだ。

彼からの返信は思いの外、早かった。
「昼ごはん買ってしまった!でもサクッと会お!」
どうやら彼は会社にいるらしい。この偶然に喜びながらも「お昼ごはん買っちゃったんでしょ、またの機会でもいいよ」と打つ。
「パッと早食いするから大丈夫!」
そして私達は彼の会社の近くにあるカフェで会うことになった。マンゴージュースと抹茶のシフォンケーキを1つずつ注文して、今日の午前中にした仕事のことなど他愛もない話をした。

15分後、彼は一口飲んだマンゴージュースとシフォンケーキ、千円札2枚、そしてケーキを頬張る私を残して会社に戻っていった。会議があと数分で始まるそうだ。
マンゴージュースもシフォンケーキも2枚の千円札も、テーブルに残された何もかもが、みんな可愛く爽やかに見えた。
お釣りを返そうとレシートは取っておいたのだが、次会った時に受け取ってもらえなかったため、レシートはまた私の財布に引っ込むこととなった。そして、今もずっと私の財布に入っている。

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たった15分程度の時間でも、彼にとって会議に遅れかけるくらい精一杯の時間だったし、何より、15分のために買ったお昼ご飯を早食いして会いに来てくれたのが私は嬉しかった。
何故、人は記念日を作るのだろうか。誰かを祝うため、偲ぶため、忘れぬため、企業などが何かをPRしたり販売促進をするため……こんなところであろうか。
その中のどれにも当てはまらない気がするけれど、5月25日は私だけの記念日だ。
内心、彼と私の記念日になってくれたって良かったのにと今でも思っている。みんなの想像以上に、結構強く思っている。

5月25日になると、私はあの日のマンゴージュースとシフォンケーキを恋しく思う。でも、祝うことは勿論、あのカフェへ食べに行くようなこともしない。あの日の彼はもうどこを探してもいないのに、探してしまいそうだからだ。

ただ、記念に持っているレシートと同様、5月25日という日付だけ「記念に」頭の片隅で眠らせておくつもりだ。はて、何の記念?今はもういないあの日の彼と私の記念か。なんだか、段々と故人を偲ぶ時のような気持ちになってきた。
そういえば私は元彼のことを「亡き◯◯公」と心の中で呼び、勝手に殺す傾向がある。それは、決して憎しみからではなく。
財布の中に眠るレシートは随分印字が薄くなり、ただのツルツルの白い紙切れになってしまう日も近そうだが、私はどうするつもりなのだろうか。