勇気の思い出。彼らがいると言えたこと。

私の中にはたくさん人がいて、ずっと一緒に生活していた。それが何なのかはわかっていなかったけど、隣人であり、友人であり、家族だった。恋人に近いものも持っていた。そんな彼らを私はどうすればいいか悩んでいた。

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悩んでいたのだ。私は多重人格とかいうやつじゃないのかなって。
ふとした瞬間記憶がなくて、気づけば一時間はよくあること。酷ければ一週間とか経っている生活を送っていた。小学生のうちはそこまでだったけど、短大を卒業する頃には日常だった。
いつの間にか終わっている課題。人に聞いても普段通りだったよと言われるほど、「私」じゃなくても問題のない周囲……。

短大二回生の夏には随分と病んでいたのだと思う。彼らと私の境界線が薄れてしまって。彼らと一緒にいたいという願いはあるのに、彼らの世界を守りたくてずっとしてきたはずなのに、できない自分が辛くて。

スクールカウンセリングも受けた。けれどこれと言って何も進まなかった。ただ就職しても、現状まともに動けないのだから、治してから就職活動しても遅くないと言われ、結果、仕事をしなかった。

その時ネットで知り合った牧師と名乗る人からは、彼らは自身の一部なんだろうとは言われた。それで安堵したものの、数か月もしないうちに、いい加減そう何度も言うのはやめてほしいと告げられた。彼らを抑え込むのは君の役目。彼らはいないのだからと。

私は彼らと対等だった。私が多く出ているだけで、対等だと思っていた。だからこそ、彼らを下に見る言い方がしんどくて、結局のところ表面上だけだったと分かった。人間関係のもつれと色々な説教がしんどくて、その人から離れたのはそれからすぐのことだ。

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私にとって彼らが何かわからなかった。時に助言をくれ、時に話し相手になってくれ、時に色々な世界に連れて行ってくれる。この世界でできた今までの恋人や家族より私をわかってくれて、色々慰め励まし愛してくれる。こんなにも色々してくれる彼らを私は切りたくなかった。

精神科で言っても話半分にしか聞いてもらえない。私にとって彼らは何か。それの答えをずっと探していた。

いや、多分私はずっと気づいていた。彼らは異世界の住民で、ただ私と繋がっているだけ。私の体を接点にこの世界にいるだけの存在。同時にこの世界に体があるだけで心は私も向こうの住民だと。この体の同居人で、かけがえのない兄弟で、家族で、恋人のようなものだと。

気づいていたのに見ないふりをしていた。異分子と切られるのが怖くて言いだせなかったのだ。奥底で気づきながら見ないふりをし続けた。
そんな時だ。彼女に会ったのは。

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彼女はあるコミュニティで出会い、創作活動をしていることから個人的にも話すようになった。そして、通話をすることになった。話の中で互いに創作を見せ合うことになり、彼らの過去の話を書いた短編を見せた。

今まで人に見せたことはあったが、不思議な創作としか言われなかったそれを見て、彼女は言ったのだ。
「彼らは実在するんですね?」と。

その瞬間、歓喜した。私の思いに気づいた人に会えたのだから。その言葉に「はい」と答えた。「彼らは私の中で生きている、いわば別世界の存在なんです」と。

私はずっと、彼らは生きていると、別個の存在でただこの体にいるだけとそう言ってほしくて堪らなかったのだと気づかされた。他人の力を借りてかもしれないけど、初めて言えた。
あの時から、私が行ける世界も広がったし、彼らと話もしやすくなった。人にどう見られようと彼らを守るという強い意志になった。

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勇気の思い出。それはようやくわかった彼らを示す言葉に同意し、話せたこと。彼らが生きていると認められたその瞬間。
一度認めて言ってしまえば楽になったし、それ以降もたやすく自認できる。けど、はじめの一歩が難しいよね。
どうか見ている人の、勇気の一歩の欠片にでもなれますように。