適応障害が再発した。
新卒入社した会社の最初に配属された部署で、適応障害を発症してしまった。
仕事も顧客も好きだったのに、部署環境が著しく合わなかった。発症後は3ヶ月間休職し、別の部署に異動した。
新しい部署は落ち着いて働ける環境だった。しかし、中小企業であるため、前部署の社員との関わりは避けられない。所々で前部署のトラウマを思い出し、適応障害再発の片鱗が見えていた。
◎ ◎
月初めに朝礼があった。場所は前部署の広いスペース。
ただでさえそこにいるだけで緊張するのに、社長の声を聞くだけで泣きそうになった。少し荒れた呼吸をマスクで隠しながらも、立っているだけで精一杯だった。
朝礼後、当時の部長に相談し、早退させてもらった。その後、メールで総務からしばらく会社を病欠扱いで休むよう伝えられた。
元々退職を検討しており、部長に「今の案件が終わる◯月末で退職したい」と伝え、退職届を提出した。しかし、病欠中に総務から早期退職を促すようなメールが届いた。今の状態じゃ何もできない、そんな社員を会社は必要としないと悟った私は、当月末に変更した退職届を郵送した。
動けなくなった。
あまり記憶はないが、1日のほとんどをベッドの上で寝て過ごしていた。電気を消し、カーテンだけでなく、防犯用のシャッターも閉めたため、部屋は真っ暗。
ご飯もあまり食べず、空腹に耐えられなかった時は米を炊いたり、辛い気持ちを我慢してコンビニに買い出しへ行った。
声が出なくなった。
気がついたら出なくなっていた。コンビニ店員さんへの「お願いします」「ありがとうございます」といった些細な声かけすらできなくなった。
生きているのか死んでいるのか分からなかった。「助けて」と伝えることすら思いつかなかった。
◎ ◎
重い体を動かし、なんとなくスマホを眺めた。LINEニュースの速報が目に入る。
「安倍元首相、銃撃される」「安倍元首相、死亡」
思わずテレビをつけ、安倍元首相の銃撃事件一色になった各チャンネルのニュースに釘付けになった。
ある瞬間、「私は今を生きる日本人だ」と気がついた。そうでなければ、この衝撃的なニュースに釘付けになっていない。
生きていると自覚した私。勇気を出して、仕事について相談していた親友にLINEした。
「声出なくなったんだけど、どしよ」
「ええっ」「どしたの?」
元々返信の早い親友だったが、いつも以上に早かった。今思っていることを文面で全て伝え、全て受け取ってくれた。翌日も「大丈夫?」と連絡をくれた。相談してよかった、と思った。
「こころの相談室」の公式LINEにも相談した。私の現状を踏まえた上で、労働相談コーナーを紹介してくれた。職場の悩みを相談できる窓口を知らなかったので、ありがたい情報だった。この日は休日だったため、営業日に行くことにした。
◎ ◎
少し心が軽くなった私は、放置していた髪の毛のケアをするために美容室に行った。久々のまともな外出。
まだ声が出ない状態だったため、筆談で対応してもらった。優しく接客してくれた美容師さん達には感謝してもしきれない。髪もきれいになり、さらに心も軽くなった。
翌日、労働相談コーナーを訪問した。この時も筆談。相談員さんは、私が今後どうすればいいかを丁寧に説明してくれた。
声が出るようになった。
親友に電話をかけ、「声出たよ〜」と報告した。親友も喜んでくれ、今度遊びに行こうと約束した。
労働相談コーナーの相談員さんも声が出た私を見て、「安心した」と言ってくれた。その後も何度か通い、私が今後どのように現状と向き合うべきか、一緒に考えてくれた。
あのニュースがきっかけで、私は生き返った。全世界に衝撃を与えたとても悲しいニュースだったからこそ、私は計らずとも動かされ、勇気を出すという地点に辿り着いた。
あれから数ヶ月。髪が伸びた。短くしたい気分なので、あの美容室にお礼も兼ねて、カットをお願いしよう。
そして、安倍元首相のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
(追記 このエッセイは私自身の経験や感情をもとに執筆しました。個人による政治的または宗教的見解は一切含まれておりません)