現在、私の恋愛願望は人生で一番低い。
色々な原因があるが、理由の一つが処方薬の副作用だ。本当かどうか正直分からないが、副作用の影響で性欲が低下し、自分自身の恋愛に関心を持てなくなってしまった。処方薬の服用を止めない限り、抗えないのが現状である。

その代わり、疑似恋愛をする機会が増えた。疑似恋愛と言っても、乙女ゲームのようなものではなく、純粋に恋愛をテーマにした作品を楽しんでいる。
小説に映画にドラマ。様々なコンテンツに触れることで、恋愛を経験する。これまでも、純粋な青春恋愛やドロドロした大人の恋愛を疑似体験してきた。

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数ヶ月前、とある恋愛映画を観に行った。
余命宣告された女性が、同窓会で同級生だった男性と再会する。病気を隠して男性と楽しい時間を過ごすことで、女性は死を恐れるようになる。彼女の余命までの恋模様を描いた作品だ。この文章だけで、「あの映画だ」とピンとくる人もいるだろう。

映画を観て、純粋に感動した。涙も流れた。出演者の演技が素晴らしいだけではなく、映像美や音楽、撮影スケジュールなど、こだわりにこだわりを重ねた素晴らしい作品だ。感動しないわけがない。
しかし、原作小説を先に読んでいた私は、幾つかの相違点を見つけた。
以下、少しネタバレを含むのでご注意を。

まず、人物設定が異なる。原作における各登場人物の特徴や趣味が、映画では多少アレンジされている。映画では原作には存在していなかった人物も登場していた。
しかし、映画化するにあたり、監督をはじめ、制作陣の思いを込めた世界観を創り出す上で、設定の調整は仕方がないことだと思う。
そして、主人公の女性と男性の感情や言動が、原作の方がより激しく表現されているように感じた。例えば、二人のすれ違いがきっかけとなった大喧嘩、女性の死前に思い出の品を燃やす行為。そして男性は、女性との思い出を胸にしまいつつ、新たな自分の人生を歩んでいくのだ。

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原作小説を読む中で、私の感情も大きく揺れた。小説でなかなか泣かない私がボロ泣きしてしまった。読了後もしばらくの間、余韻に浸っていた。
そんな中、印象的に感じ取ったことが大きく二つある。

一つ目。恋愛に限らないことだが、お互いに依存し過ぎないこと。
死へのカウントダウンが進行している女性に、男性はプロポーズをした。しかし、女性は拒み、男性に強く訴えた。「自分(女性)に振り回されず、男性自身の人生を生きてほしい」と。
女性は余命があと僅かということを熟知しているからこそ、男性の人生を女性に捧げてほしくなかったのだ。恋人という大切な存在だから、なおさらだろう。
男性はそれを受け入れた。男性にとってもまた、女性は大切な存在だから。
そして、二人は別れた。

二つ目。大切な人の存在は、嫌でも胸に刻み込まれること。
男性と別れた女性だったが、死の直前、ベッドの上で男性を思い出していた。「会いたい」と。それほど、男性は女性の人生を彩った大切な存在だったのだ。
死は誰もが必ず迎えるし、悲しい出来事である。私も、この小説で女性が亡くなったことは、一読者として悲しかった。しかし、恋人であった大切な男性を思い出すということは、女性が生きた証だったと思う。男性と過ごした時間は、女性にとって、とても幸せだったのだろう。

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私は原作小説を読んだ後に、映画を観た。今度は原作小説を読み直そう。新たな発見や学びが得られるかもしれない。初読で感じ取れなかった感情を汲み取ることができるかもしれない。

恋愛コンテンツから学ぶことは多い。先日も、波乱だらけだが最終的に心があたたまる恋愛小説を読了したばかりだ。
さて、次はどんな疑似恋愛をしようか。