血のつながらない誰かと付き合うって、夜も眠れなくなるほど難しくて、相手が発した、たった一言に傷つけられて悲しくなって、いざ「結婚」となると、お互いの家族同士の間を取り持つことが面倒くさくて、「いつか終わってしまうのかもしれない、それでも好き」という感情があるのが、儚くて最高だ。

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私は、「儚い」という言葉がお気に入りだ。
小説はいつも「儚い」ストーリーを選んでしまう。
自分の頭の中で、主人公の顔を描けるから、本で読む原作の方が好き。
基本的には原作を読んでから、映画を見に行く。

今年一番涙が止まらなかったのは「余命10年」。
読み始めてすぐ涙が止まらなくなった。何度読んでも、涙がぽろぽろと出てきた。
実は、私の誕生日に、この映画を見に行った。
誕生日に、こんな悲しい恋愛映画を、お付き合いしているパートナーと見に行くのは、なかなか変な趣味なのかもしれないけれど、私のリクエストでそうしてもらった。
マスクのおかげで、涙にぬれた顔が見られずに済んでよかった。

余命10年の主人公が、恋をして、大切な存在が出来て、人生が愛おしくて仕方なくなる。だから一瞬一瞬を精一杯生きて、どんな一瞬も覚えておこうとする主人公の姿に心打たれた。
私の隣にいてくれる、お付き合いをしているパートナーとの時間は、永遠ではない。いつか別れてしまうけれど、たとえずっと一緒にいられたとしても、いずれ人間として別れは来る。

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変なことに聞こえるかもしれないけれど、私は毎日「おはよ」とキーボードを打つと、数十分経てば、「おはよ」とメッセージが返ってくることだけで、ふと嬉しくなる瞬間がある。
「今日元気?」と聞いてくれて、調子がのらないとき「あんまりかな」と言える関係が、必要以上に心配はせずに「よく寝てね。今日はそっとしておくね」とメッセージが返ってくるその瞬間が、ふと愛おしくなる。
時差がなくて、同じ天気を毎日一緒に体感していて、「今日は暑いね」と違う場所にいても同じ感覚を共有できることが、嬉しくなる。

過去、1万キロ離れた遠距離恋愛を3年間も続けた経験があるからこそ、自分が朝起きる時間に「おやすみ」と言うのではなく、「こっちは今日雪が降りそうなくらい寒いよ」と今私がいる場所の天気を伝えるのではなく、何気ない毎日を共に過ごせることが、幸せだと思う。

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「遠距離恋愛なんて絶対にむり!」と思っていた私だけど、2年近く会えないことも経験したけれど、それでも3年間も遠くにいる人と好きでいられた。

その人とは別れてしまったけれども、私が成長する上で必要な経験だったと思う。
「彼氏はいるんだけどね……」と答えることにいつのまにか慣れてしまって、「彼氏はいるのに会えない」虚しさがこみあげてくる夜もあった。
なかなか遠距離恋愛を終える方法が見つからなくて、一緒の場所に住もうと努力した結果は散々で、コロナや仕事の関係でなかなか未来が見通せなかったあの恋愛。
ドラマにできるかも、と思ったこともあった。

ありがとう。
私の過去の彼氏たち。
私を弄んだ一部の最低な男たち。
私があざとく弄んでやった男たち。

おかげさまで、私は今目の前にいる人を大切にしようと思える。
その人と過ごす一瞬がかけがえのない瞬間で、お互いを思いやって、お互いに負担がない形で、お互いの足りないところを補い合って、お互いの行動、性格、価値観のすべてを理解することはできなくても、お互いの考え方の理由だけは理解して、一緒の時間を共有していこうと思う。