暇か多忙かで言われたら、多忙に分類される日々を送っていると思う。周囲も、「忙しそうだ」「いつも何かに追われている」と私に言う。私も、そう思う。
充実していて素晴らしい毎日を送れていること、大学生になって様々な経験をさせてもらえることには感謝してもしきれない。自分で、希望して選択した道とはいえ、食事を取る時間も寝る時間も惜しいと思ったことは何度もあった。
普段の休日は洗濯物や課題が溜まっているうえに、掃除や1週間分の食材購入など生きるための家事で精一杯だ。友人との遊びの約束があると、化粧や私服の準備があり、楽しいけど身体は疲れてしまうという状態になる。
だからこそ、私は休みを大切にしている。私が完全に休めるのは1ヶ月に一度程度。ある意味、忙しいからこそ必要な休みなのかもしれない。
家事や約束で忙しい普段の休日。完全に休める一日を大事に
まず、私は休むとき、必ず一日休むようにしている。食事の時間を1時間以上取り、睡眠も12時間以上取る。無理せず自然体で過ごす。いつもだったらすぐにやる宿題も、期日が近い気がする提出物も、溜まっている洗濯物も全て放置する。そして、私は窓際で壁にもたれながら自分自身や身の回りのことを考える。
午後に起きて、窓を開けて日が沈むまで、子どもの声や周りの生活音を聞きながらぼうっと、時々、目を閉じながら、とにかく考える。
考え事は尽きない。前の休みから今までの言動の振り返り、あのときの会話、言えなかった不満、なんとかしたい自分の性格、先の見えない将来。考えれば考えるほど落ち込む。樹形図のように考えを広げたり、人に言えない悩みをつぶやいてみたりする。
部屋の中で一人考える。マスクをしなくてもいい、自分だけの空間は息がしやすくて安心ができる。過去を振り返ったってどうにもならないことばかりだけれど、これだけは、どうしてもやめられない「おやすみ」だ。
最近は人付き合いについて考えることが多い。きっと多くの人の悩みの種でもあると思う。
大学で出会った友人たちは就職したらきっと離れ離れになって、今のような関係とは全く違う、友達や知り合いから他人へと変わってしまう。そんな存在だ。
無理やり一生の付き合いをしたいわけじゃないけど、友達でいられる間は相手を思いやりたい。常に余裕がない毎日だからこそ、今つながっていられる縁を、人を大事にしたい。なるべく喧嘩なんてしたくない。身近な関係なら尚更だ。身近な人との関係を大切にできれば、きっと他人になっても大切に接することができる気がする。
「おやすみ」で得た、人付き合いについての私なりの答え
忙しいからこそ、他人に丁寧に接することができる人間になりたい。コロナで直接会えない期間が長かったこともあって、直接会える人や友人の重要性に気づけた。また自分のコミュニケーション能力を見つめ直す良い機会になったと思う。
普段の会話はチャットみたいに履歴が残らない。自分の口から出た発言をキャンセルも送信取り消しも出来ない。「おやすみ」を通じて、そういう些細な部分に気づけた。当たり前だけれど、今まで気づけなかった。
私は自分の言動に責任を持たないといけない。それが微々たる影響力しかないとしても、私と話をして人、私がつなげてきた縁を私が原因で切らないようにしたい。「おやすみ」を経て得た私なりの答えだ。
考えごとは、きっと正解がない。その人の価値観や経験に左右されるから、人によってはすれ違ったり意見されたりすることもあるだろう。忙しいから普段は向き合えないことも、時間をかければ自分が納得できる答えを見つけられる。
社会で働くことになったら、きっともっと忙しい。いっぱい考えられる今だからこそ、この時間を大切にしたい。