これは5歳の頃の「おやすみ」。
その頃我が家の両親は共働きだった。コンピューター会社のシステムエンジニアの父と助産師の母。二人とも本当に忙しかった。でもそんな忙しい仕事の合間を縫って、毎日寝る時間になると、絵本の読み聞かせをしてくれた。布団の並びは左から、お姉ちゃん、お父さんまたはお母さん、そして私。
演技力のある母が熱を込めて読む『おしいれのぼうけん』は迫力がありすぎて、もはやホラー。私とお姉ちゃんはねずみばあさんに心底震えあがり、それから数日は、押し入れに近い場所にある布団の押し付け合いになった。
はたまた、『からすのパンやさん』では、様々なパンが描かれているページを3人で覗き込む。あのパンが食べたいだのそのパンが食べたいだの、美味しい妄想を膨らませるのだ。

ドキドキしたり、ハラハラしたり、ワクワクしたりしていると、段々まぶたが重くなってくる。布団の上からトントンと優しくたたかれていると、すっと眠りの世界に入っていたものだった。

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これは10歳の頃の「おやすみ」。
私は10歳になっても、11歳になっても、12歳になっても、おねしょが止まらない子だった。少なくとも週に一度は、多い時は毎晩、夜寝ていてふと目を覚ますと、布団とパジャマがびしょびしょになっていた。小学校高学年にもなっておねしょをしている自分がとても恥ずかしかった。その頃の私にとって、寝ることはイコール100パーセント楽しいもの、ではなかった。ああ今日も寝たらおねしょをしてしまうのかと、お布団に入ると悲しく憂鬱になる毎日だった。

そして、布団とパジャマを濡らすと、片付けるためにお母さんを起こさなくてはいけないのも、悩みの種だった。私が6歳の頃に生まれた弟含め3人の母になった、いつも忙しく疲れているお母さん。そんなお母さんを安眠から引きずり起こすのが、申し訳なくて仕方がなかった。
でも母は何度起こされても、「あーやっちゃったか!大丈夫だよ、気にしないで早く着替えよう」などと笑顔で片付けをしてくれた。子供はいないものの、社会人として仕事をし睡眠時間がより貴重になった今、その笑顔の凄さを感じる。

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これは15歳の頃の「おやすみ」。
15歳、中学3年生の頃、私はあまり寝なかった。どうしても行きたい国際科のある志望校に向けて、猛勉強をしていた。夜12時半。隣では相部屋をシェアするお姉ちゃんがすやすやと寝息を立てている。片手には記憶力に良いとされる青色のボールペン、片手には参考書、口の中には眠気覚ましと糖分補給のミルキー、耳にはイヤホンから流れてくる英語のリスニング教材、顔はストレスで吹き出物だらけ。
「毎日頑張るためには睡眠も大切だよ、もう寝なさい」とお父さんが声を掛けてくる。お父さんだって夜更かしのクセに、と反発しながら、じゃあちょっと仮眠をとるかとリクライニングチェアで少しだけ目をつぶる。また目を開けると、あら不思議!もう7時!

もっと勉強したかったのに、お父さんが寝ろなんて言うから!と逆ギレしたくなる。でも、今なら分かるよ、お父さん。持続的な努力をするためには、睡眠・休養することは本当に大切。一夜漬けって体力のある若い頃しかできないし、コツコツ努力する毎日を積み重ねてくことこそ大切なんだよね。

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これは20歳の頃の「おやすみ」。
家族のみんなが「おやすみ」と眠りにつく深夜。そこからが私の活動時間だった。20歳の頃の私は、受験に失敗し精神疾患を発症した、浪人生の皮をかぶったひきこもりニート。朝みんなが仕事や学校に行く時間に寝て、夕方に目を覚まし、深夜になると、お布団の中でスマホを手に2ちゃんねるのスレッドを巡回するのが日常だった。

「精神疾患 人生 オワタ」「転落人生」「ひきこもり 人生 やり直し方」そんなワードを検索画面に打ち込んでは、自分に似た境遇の人を見つけては傷を舐めあい、少しでも自分より下のやつを探しては「こいつよりまし」と自分を慰めていた。そんな情けないやり方での、そんなちっぽけな範囲での自己肯定をしなければ、息苦しくて息をすることすらできなくなっていた。
夜は長かった。「明けない夜なんてない」、暗闇の中にいた私はそんな言葉きれいごとだと思っていた。20歳にして、人生がもう終わったものだと。そんなことないよ、と私がこの頃の私に優しい声を掛けるためには、またいくつかの長い夜を越さなねばならない。

これは25歳の頃の「おやすみ」。
18年間相部屋をシェアしていたお姉ちゃんが、実家から旅立った。結婚するのだという。18年間相部屋生活を続けられたのは、気が合ったからなのか、それとも相部屋だったから気が合ったのか……。卵が先かにわとりが先か、の議論になってしまい分からない。しかし、私たちは性格が真反対なのに、基本的には仲の良い姉妹であった。基本的には寝つきの良い私たちだったが、たまに二人とも寝つきが悪い夜もある。
そうするとどちらともなく「ねえ起きている…?」と声を掛ける。「私も寝られてないよ」と返すと、そこから始まる夜通しのくだらない話。そう、それはまるで修学旅行の夜のようだった。
18年もそんな修学旅行の夜を過ごした25歳の私にとって、姉のいたベッドスペースは空いた分だけ、自由であるとともに、少し寂しく少し人恋しくもある。

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そしてこれは、28歳の今の私の「おやすみ」。
4か月の休職――まさに「お休み」だ――を経て、復職の日が近付いてきた。その日に向けて少しずつ緊張してきて、眠れない夜を過ごしている。仕事にちゃんとついていけるだろうか、とか、あれだけ迷惑をかけた上司や先輩になんて顔向けすればいいんだろう、とか、またすぐに症状がぶり返したらどうしよう、とか色々考えてしまう。

でも、大丈夫。28年間色んな夜を過ごしてきた。そして分かった。「おやすみ」とお布団に横になって、なかなか眠れない夜もあったけれど、明けない夜は一度だってなかった。お布団はいつだって優しく私を包み込んでくれた。いつだって味方だった。だから、きっと大丈夫。
今はスマホの電源を切って目をつぶってみよう。ほら、眠気がだんだん忍び寄ってくる。

「おやすみ」、良い夢を。