死に直面して初めて、分かることがある。
結婚して1年と半年がたった昨冬、待望の第一子を妊娠した。
15歳年上の旦那は、今年で44歳になる。2人とも子供が好きで、「早い方がいい」。自然とタイムリミットを意識していた。式が終わるとすぐに妊活を始め、幸いにもその翌月、新しい命を授かった。

「子供が産まれたら、なかなか2人で飲みに行けないね」。結婚してから週に一度の楽しみだった居酒屋デートは、できなくなる。だけど、新しい家族を迎えた未来を想像すると、希望に満ちあふれていた。
大好きなコーヒー、お酒は控え、難産の要因となりうる大幅な体重増加を防ぐために健康的な食事を徹底した。ストレス発散で習慣にしていたランニングやヨガもできなくなったが、子供が元気に産まれてくる以上の幸せはない。長い妊娠期間、耐えられた。
そのおかげか、検査の数値も正常。経過はすこぶる順調だった。
「いつ産まれてもいいよ」
臨月に入ると、おなかにいる我が子を急かすように声をかけていた。

緊急手術で命拾い。助かったはずなのに

異変が起きたのは、予定日より3週間以上も早い9月8日だった。
「なんだかおなかが痛いな」
昔から胃腸が弱かったし、しばしばおなかを下す。いつものことだろう。それほど気には留めていなかった。夜になっても痛みは治まるどころか、増していく。何気なくおなかに手を当てると、石のように固い。突然の異変に、悪い想像が膨らんだ。胸騒ぎがして産院に連絡すると、念のため受診するよう促された。
病院に着いた頃には、痛みに耐えられず座っていられなかった。診察室に入り、10分ほどたった時だった。
「あっ。何かが出た……」。下半身が生温かくなり、思わず声が出る。その先には、大量の赤い液体。助産師さんの表情が一気に強張り、診察室を飛び出した。
看護師、医師と次々に駆けつけてきて、私をストレッチャーに乗せる。
「私はどうなってもいい。どうにか、子供だけでも助けて」
最期を覚悟した。

「手術、終わりましたよ」
名前を呼ばれて気が付くと、オペ室で10人近くの医者や看護師に囲まれていた。
常位胎盤早期剥離という、急に胎盤が子宮から剥がれ落ちる病気を発症し、あと1時間遅ければ母子ともに命はなかった。麻酔が残った状態で説明され理解が追い付かなかったが、奇跡的に、生きていることだけは把握できた。

助かった。なのに、なぜだろう。術後、日に日に虚しさが募った。マタニティブルーもあっただろう。でも、それだけじゃない。
恋愛、夜遊び、海外旅行、憧れていたライターの仕事……やりたいことはやってきたつもりだった。だけど、死にかけたあの時を現実として受け入れられるようになり、一気に後悔が押し寄せてきた。
「周囲に気を遣ってばかりいないで、言いたいこと言っておけばよかった」
「家族や友達に甘えておけばよかった」
「将来への不安から節約ばかりせず、今ほしいものを買っておけばよかった」
気付かないうちに、私は私を殺していた。

押し寄せる後悔に毎日嘆いていた私を、一喝した母

子育てが始まると自由がなくなり、さらに我慢が増えた。
「私の人生、何なの」
毎日、過去を嘆く私に、母は一喝した。
「自分を大切に生きなさい。それが子供のためにもなるから。これを機に生まれ変わればいい」
心のつかえがとれた。私は、私のために生きる。

あれから1か月。初めての子育てに奮闘し、自分そっちのけの日々は変わらない。だけど、ほしいものを罪悪感なく買えるようになった。家族や友達に、ちょっとしたお願いができるようになった。前より、心にゆとりができた。

この先、娘の誕生日を迎える度に思うだろう。
あの日のように、一生かけて我が子を守る。
そして、今、生きている私に、昔の私のような思いはさせない。
人生は思っている以上に長くないから。