9月下旬、一通の封筒がポストに入っていた。
差出人を確認してドクンと心臓が鳴る。
大急ぎで家へと入り、慎重に封をきる。
中に入っていたのは結果と招待状、私が評価された大切な日。

今年の3月に創作意欲を駆り立てられて、ここまで約7ヶ月、さまざまなジャンルの作品は、50にも届きそうな勢いで生み出されてきた。
企画物、デザイン物、小説やエッセイに至るまで、公募に出したものも少なくない。
もちろん全てが報われるわけではない、そのほとんどがボツになるものばかり。
しかし、その中のいくつかは認められ、世へと発信されてきた。
このサイトに掲載されているエッセイたちも私の大事な作品たちだ。
採用されたものもボツになったものの、いずれの作品も私の大事な軌跡となっている。

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初夏、私は一つの公募に応募した。エッセイのテーマは仕事。
自身の力不足や、自分だけではどうにもならないと打ちのめされていた2年目を経て、より仕事に対する苦悩を重ねていた3年目の夏、私はエッセイを書くことにした。
書き始めた当初、このエッセイの終わりはどちらかというとハッピーエンドを考えていた。
紆余曲折を経て、最終的に今は前を向いて頑張っています。きっと読者にとってもそういったシナリオが読みやすいと思ったのだ。

しかしどうしたものか、書いても書いてもハッピーエンドへの道のりが見えない。
答えは単純明快、それが真実ではなかったからだ。
小説とエッセイの違いといえば、フィクションかノンフィクションか。そこには明確な線引きがあるが、エッセイの難しいところはノンフィクションでも自身の気持ちの捏造が可能になり得るということだと思っていた。
自身の気持ちは目の前に起こり得る事実とは違うものだと認識していた当時の私は、自分の体験に偽りの感情を交えることで小説化してしまっていたのだった。
当然、事実を書いている気持ちで指を動かしているのだから矛盾が生じ、手が止まる。
そうしてハッピーエンドを描くつもりが、このエッセイは誰かの糧になるのだろうか、こんなエッセイに意味はあるのだろうかと、ダークな気持ちで埋め尽くされるようになった。

しかし、現在進行形で悩み続けていることをエッセイにすることに躊躇いがあった私は、一旦そのコンテストから離れ、書くべきかをもう一度考えた。
日々の仕事をこなす中で、次第に気持ちの落ち着きをとり戻した私は、二週間ほど経った頃、再びパソコンに向かい合うことを決めた。
書くことを諦めるという選択肢はなかった。

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改めて書き始めたエッセイは、当初想像していたものよりは少し、いやかなりの幅で、素敵ストーリーからは程遠いものとなった。
今読んでみるとダークなことを書いてるなと苦笑してしまう。
自身のありのままのエネルギーを詰め込んだ作品を投函したとき、採用されるかどうかは別として、とても晴れやかな気持ちになったのを覚えている。

そして数ヶ月後、そのコンテストの結果発表がいつだったのかも忘れた頃、入選の連絡が届いた。等身大の姿が印象に残ったとの批評を受け取ったとき、ありのままでいいんだと、認められた気がした。

3年目、周りからは徐々に新人扱いされなくなり、少しずつ責任がのしかかる今日この頃、思い通りにならないことも多々あるけれど、背伸びせず、今の自分の苦悩や達成感を偽りなく捉えることの大切さを知った。
このコンテストにて、私の作品を評価してくださった方々に改めて感謝したいと思う。
等身大の自分を改めて愛するきっかけとなった記念すべき日となった。