私もう20年近く自分の顔と戦争をしている。
私は自分の顔が嫌いだ。
昔から顔へのコンプレックスは抱いていたけれど、3年前、まだ会社員をしていた頃。人と数多く営業の仕事をしていたせいもあるかもしれない、他人と自分の顔を見比べて、完全に顔のことで精神面が圧し潰されてしまった。会社にいるときでも鏡をみて、営業に向かう時は電車の窓に映る顔をみて「自分の顔って気持ち悪いな」と思っていた。
いつからだろう。私はだれか初対面の人に会う時口癖のように「私ってブスだから」とか「こんなデブス人生で初めて会ったんじゃない?」とよく自虐していた。そんな自分本当は嫌だったけれど処世術のように口からついていた。

自分を好きになるために、整形したいとぼんやり思った

整形をしたいとぼんやり思った。
だって「もう嫌だな」「どうして私の人生は人と違うんだろう」そう思いながら顔を上げて窓に映る自分の顔が嫌いな造形だと、なけなしのわずかな生きようという気持ちすら消えてしまうから、顔を上げた時にせめて自分が嫌いじゃない顔でいたい。私は決してアイドルのように可愛くなりたいから、モデルのような顔立ちになりたいから整形したわけではない。自分を好きになるためにしたいと思った。
けれど私は生まれながらのビビりであり、幼稚園の頃にはインフルエンザの予防接種すら怖く小児科の医院内を「やだ」と叫びながら2時間でも3時間でも逃げ回ったことから医師、看護師の間では「今日はみかんちゃんの来る日」だと身構えさせていた程だ。
急に整形、に踏み切れる訳もなく、そして美容外科専門のクリニックに言ってはきっとすぐに「いつ手術しますか」ととんとん拍子で話が進んでしまうかもしれない、物事、とんとん拍子が望ましいけれどこのことにおいてはちょっと心が置いて行かれてしまう。

私は美容外科専門ではないクリニック……例えば総合病院で精神科に相談しつつ整形するかどうか決められたらいいのに……でも普通の病院では美容外科はやっていないだろうな……と探す中で築地にある総合病院が美容外科治療を行っていることを知った。

予約時に抱く背徳感。言葉を発するのも難しいくらいに涙が止まらない

予約をした時の事は今でも鮮明に覚えている。
何故なら言葉を発するのもたどたどしいくらいに、泣いていたからだ。
どうして涙が出るのかはわからなかった、ただ、とてもいけないこと、背徳的なことをしている気で怖くて泣いた。けれど今電話しなくては私は一生前に進めない気がして震える指でダイヤルを押した。
営業と営業の間、つまりは仕事中、浅草の商業施設の休憩スペースで観光客が楽しそうにしているのを横目に震えながら電話をかけた。人気の病院なので発信音が鼓膜を震わす間涙の量はどんどん増えた。電話担当の方は引いていたことだろう。

初診の予約は形成外科と精神科でとった。
形成外科の診察室で待っていると周りは腕にギブスをつけた小学生や松葉づえをついたおじさん、ばかりで自分はとても場違いでいたたまれない気持ちでいたけれど、いざ名前を呼ばれ医師の前で、私は誰にも言えなかった顔に対する悩みを打ち明けられた時にまた、泣いた。そして私の長年抱いていた苦しみに先生が共感の言葉をぽつぽつ口にしてまじまじと私の顔を射るような眼差しで見て治療法を提示してくれた時、また泣いた。そしてそれを思い出すと執筆している今も頬を涙が伝っている。
今まで誰にも打ち明けられなかったのはきっと流されてしまうと分かっていたから。
「整形なんていらないよ」「親からもらった体にメスいれるなんて」そんな言葉に苛まれることが分かっていたから。

通院を始め半年が過ぎた頃に整形を決断し、6時間に及ぶ手術を行った

月に一度の精神科と形成外科のでカウンセリングをし、半年が過ぎた頃、整形をするかどうかを決断して、それから半年後2020年の秋に6時間に及ぶ顔の手術を行った。
肋骨と耳の軟骨をとり、鼻先にいれる手術だった。
私はやる、やらないと後悔すると思って臨んだけれどいざ手術の時間が近づくと、震え、看護師さんに呼ばれ手術室に入り手術台に上るとまた泣き始めたので早々に全身麻酔をかけられ、次に目が覚めると手術は終わっていた。
痛みはとにかく強く、骨を入れた鼻先はじんじんするだけだけれど、肋骨をとった部分はひどすぎる筋肉痛のような痛みで起き上がれないほどだった。今でも雨の日はずしんと重い。けれど主治医がきて「これでコンプレックスと思えるところはなくなってるよ」と声をかけてくれると安心した。やっと自分を好きになれる、と思えた。

整形し、自分を好きでいれたのは束の間、自分を好きになる心が欲しい

だが手術から約一年半が過ぎて、まだ私は自分の顔が嫌いで、家で食器棚に映る自分の顔を見ては泣き出しそうになる……いや、泣いている。
整形をするために70万円も貯めて痛い思いもして顔で悩み始めてから手術に至るまで小さな池が出来る位泣いて、やっと自分を好きになれるかと思ったのに。自分を好きでいれたのは束の間で。まだ自分を好きになれずに泣いている自分が悔しい、けれどもどうしても自分を好きになろうとすると顔が大きな障害になる。

私は今一番欲しいものは「次の整形をしなくても自分を好きになる心」。
整形に対してよくないイメージを持つ人もいるかもしれないが、軽い気持ちであれこれやるのはよくないけれど前向きに生きるためにするのは悪いことではない。
けれど体にも財布にも負担がかかることだからなるべくしなくても自分を愛せる私になりたい、そんな私が欲しいのだ。
でも鏡の前で泣いているうちはそれを手にできないかもしれない。
もやもやと、自己肯定感が容易く踏みつぶされてしまう世界で、今日も私の心はさ迷っている。