大学3年生の夏の終わり、留学したいと思った。

私は大学2年生の時に、ある東南アジアの国へ約5ヶ月間の交換留学をした。高校時代から憧れていた留学を、割と早い段階で達成することができた。
英語スキルが不十分な状態で留学選考に通過してしまったため、その穴を埋めるかのように留学中は勉強漬けだった。平日は授業に加えて、図書館で予習復習、休日も最低7、8時間は勉強してたと思う。
大変ではあったが、心からこの国に留学してよかったと思った。現地の友人もでき、東南アジアならではのあたたかさに触れることができたのだ。

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その後、情報分野の授業を履修するようになった。就活に有利だと感じたためだ。海外事業に携われたらなおさら良いだろうと思った。
情報分野の勉強をするうちに、デジタル国家と呼ばれるエストニアに興味を持つようになった。
エストニアでは、各国民に個人番号が付与され、それを用いて結婚と離婚以外の手続きをオンラインで済ませることができる。また、ちょうど日本でもマイナンバー制度が導入された頃だった。「電子国家で生活してみたい」という気持ちで交換留学の準備を始めた。

しかし、エストニアに留学できなかった。交換留学先の留学条件を満たすことができなかった。だからと言って、二度目の留学を諦めたくなかった。考えた結果、留学中にエストニアに訪れることを踏まえた上で、ある東欧の国への約1年間の留学が決まった。
給付型奨学金を獲得し、卒業研究以外の単位を全て回収した。準備万端の状態で日本を発った。

留学先では、情報学と語学を中心に履修した。現地は秋学期と春学期の二学期制で、最初の秋学期は授業に専念していた。春学期は履修科目を減らし、エストニアをはじめ、欧州で関心のある国を旅する時間に費やした。
側から見ると遊んでいるように思えるかもしれないが、日本からわざわざ訪れることがないような国や都市に行くことが多く、現在のコロナ禍の中、この時期に色々な国を訪れたことは貴重な経験だった。

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まずはイタリアのナポリ。留学中に仲良くなったイタリア人学生の出身地だ。彼女にナポリの街を案内してもらった。イタリアならではの教会や大聖堂は豪華で美しかった。
それと同じくらい、ナポリの街並みに関心を持った。欧州のおしゃれなイメージからはやや遠かったのだ。東南アジアのようなバイクの大渋滞やごちゃごちゃした雰囲気。意外で面白かった。
その後、友人の勧めでフィレンツェにも訪れた。朝早くにアカデミア美術館へ向かい、ダビデ像を観に行った。小中学校の美術の教科書に登場するダビデ像は、男子の落書きの対象としか思ってなかったが、その印象が一気に覆された。実物は想像以上に大きく、腕の血管をはじめとした精緻な彫刻技術に見惚れてしまった。生まれて初めて、本物の芸術と対面したと実感した。

スロベニアではブレッド湖を訪れた。湖の中心には教会が浮かんでいる。その教会へは手漕ぎボートに乗って行き来した。この手漕ぎボートは先祖代々伝わる伝統技能らしい。私が乗ったボートを漕ぐ30代くらいの男性も、継承者のひとりだった。

ずっと行きたかったエストニアにも訪れた。都会的な国なのだろうという先入観で向かったが、実際は真逆だった。中世の面影が残った、のどかな国だった。電子国家のイメージが結びつかない。逆を言うと、歴史と先端技術の共存に成功した国なのだ。

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最後に足を運んだリトアニア。4年に一度開催される「歌と踊りの祭典」が行われていた。昼間は伝統工芸品や特産品がずらりと並んだマーケットを眺め歩いた。夜は伝統衣装を着た国民が、壮大な合唱をバックミュージックに、手を繋ぎ、輪になって踊る。その光景に心が大きく動かされた。こんなに素敵な文化があるなんて。同時にある思いが一瞬、かつ強く脳裏によぎった。
「この文化を守るためにはどうすればいいんだろう?」
その日は現地の7月4日だった。

帰国後は就活をし、内定を貰った。悩みながらテーマを決めた卒業研究に取り組んだ。
卒業が近づいているのに、心に突っかかりが残っていた。リトアニアで感じた、あの思いだ。
そのことを先に大学を卒業し、大学院に進んだ友人に打ち明けた。友人は言った。
「その思い、継実の研究室で実現できるんじゃない?」

私の研究室では、情報分野にしては珍しく各学生の研究テーマが幅広かった。とある先輩は情報学と古典籍を掛け合わせた研究をしていたのだ。
その後の行動は早かった。研究室の指導教員に相談し、両親を説得した。私が守りたいものを大学院で研究したいと伝えた。卒業研究と並行して、大学院入試の準備を行った。そして、大学院入試に合格した。

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大学院では少し焦点を変え、とある日本文化と情報学を掛け合わせた研究に取り組んだ。ニッチな研究だったので、身バレしないようあえて研究の詳細は伏せるが、充実した研究生活を送ることができた。挫けそうな時も、リトアニアの祭典で撮影した写真や動画を振り返り、自身を奮い立たせた。大学院に進んで、本当によかった。

現在。新卒入社した会社を退職し、もうすぐ新しい職場で働く。勤務先はとある美術館だ。業務内容は研究員の補佐。私の気持ちは、あの時からずっと変わっていない。

7月4日。「伝統や文化を守り、後世に残す」という人生の目標のきっかけができた日だ。