好きな食べ物は?と聞かれたら、サンマですと答えることが多い。
皮に焦げ目がつくくらいの塩焼きが最高だ。ワタの苦いのもまた美味しい。ここ数年サンマの高い秋が続いていて残念である。

他にも好きな食べ物を聞かれたときのストックはいくつかある。
お菓子類なら王道のチョコレート、昔ながらの柿の種、居酒屋にあったら必ず頼むものはたこわさ、馬刺し、いぶりがっこ、ちょっとエスニックっぽい料理ならパクチーの入ったフォー、お財布事情(と痛風に怯える体)を無視するなら雲丹といくらは外せない。
食い意地の張った人生を歩んできているので、テーマに沿ったお気に入りの食べ物はいくらでも挙げられる気がする。

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でも、「また食べたい味」を聞かれて振り返ると、思い出すのは結局、母の手料理だ。
面白みのない結論ではあるけれど、仕方ない。実家の味は実家でしか食べられないのだから、その希少性からすればこの世のどんな高級レストランより価値が高いのだ。

「ピカタ」という言葉を知ったのは、幼稚園児の頃だ。

ピカタ、変な響き。ピカタ、ポケモンみたいな名前。ピカチュウの進化前かな?ピカタ、大人になってからもほとんど口にしたことがない料理名。どのくらいメジャーなのか、マイナーなのかもよくわからない。
いまだに「ピカタ」という言葉がどのような料理を指すのかよくわからなかったので、ググってみたところ、下味をつけた豚肉に小麦粉、粉チーズ、溶き卵をまぶして焼く料理だそうだ。確かにそんな工程だった。
我が家の「ピカタ」には粉チーズは入っていなかった気がする。薄い肉をバットに溜まった小麦粉に両面なすりつけ、ボウルに溶いておいた卵に浸して、焼く。小麦粉のパフパフした感じと卵のべしょべしょした感じが懐かしい。

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母がフライパンで「ピカタ」を焼いている間、器にオイスターソースとケチャップをひり出し、スプーンでかき混ぜ、特製ソースを作るのが私の役目だった。
ケチャップのエンジ色がオイスターソースと混ざってどんどん茶色くなっていく。トマトと牡蠣と塩の匂いを嗅ぎながら無心で手を動かしたあの時間が、「茶色いものはだいたい美味しい」という人生の教訓を幼い私に刷り込んだのかもしれない。

ググったりTwitterで検索してみたりした感じだと、「ピカタ」は洋食屋さんで出されたり、ビールに合う夕飯として紹介されたりしていた。大きめの豚肉が卵の衣に包まれてどんと丸ごと皿に盛られている様は、さながら黄色いトンカツという貫禄だ。
その食欲そそるボリューミーな姿と異なり、私の記憶の中にある「ピカタ」は小さく刻まれていて、お弁当に黄色い彩りを与えるかわいらしい働き者という印象である。そして食べたら脂っこすぎず、卵はふわふわとしてひたすら優しい味。わからないが、母が子供のお弁当にふさわしいように脂身の少ない肉を選んだり、塩加減を調整したり、何かと工夫してくれていたのかもしれない。

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私は「ピカタ」を外で食べたことがない。「ピカタ」を出している店に入ったことがないし、他人の家でも出されたことがない。だからこの料理がどの程度市民権を得ているのか、体感としてよくわからない。
この世にインターネットがなかったら、「ピカタ」が元々存在する料理なのか、母の創作料理なのか、はたまた何か既存料理に勝手に与えたニックネームなのか(だって「ピカタ」なんて嘘みたいにかわいらしい名前だから)、永遠に知らないままだったと思う。

実家にはたまに帰るが、その時も出されることはない。母の中で「ピカタ」は、あくまでお弁当や夕飯をいい感じにまとめる便利レシピの一つで、人をもてなすにふさわしい料理のカテゴリに入っていないのかもしれない。
ピカタ、胃袋をくすぐる魔法の響き。今度、自分で作ってみようかな。実家に帰ったら、リクエストしてみようかな。他の家庭にも「ピカタ」の思い出はあるのかな。
ピカタ。巡らせる思いの尽きない、魅惑の響きである。