2020年10月24日は、私にとって最愛の人の命日であり、私が初めて人工妊娠中絶手術を受けた日である。

妊娠相手は当時付き合っていた恋人だった。私はその人から性的DVを受けていて、避妊に協力してもらえなかった。
避妊をしないSEXを重ねた結果、私は妊娠した。その妊娠を手放しに喜べた訳ではないが、新たな命を宿したということ、私にも母親になるチャンスがあることが嬉しかった。
しかし、喜んでばかりはいられなかった。出産をするのか、妊娠を中断するのかを決めなければならなかった。産婦人科で妊娠が判明してから1週間以内に決断を下さなければならなかった。

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私は悩み、妊娠を中断することに決めた。なぜなら、私にとって「産む」こと以上に無責任な行動はなかったからだ。
当時の恋人は大学4年生で、私は大学2年生だった。私は大学を辞めたくなかった。自分のキャリアを諦めたくなかった。当時の恋人は「就職はしない」と断言しており、それを覆すことは難しかった。

こうした経済的理由だけではなく、私が幼少期から大人になるまで親から虐待を受け続けていたことも大きな要因だった。私は「普通」の養育方法を知らなかった。「普通」の親子がどのように会話して生活するのかを知らなかった。そんな私が母親になれば、虐待が連鎖してしまうかもしれないことが何より怖かった。生まれてきた子どもを虐待する自分自身が容易に想像できて、私は子どもを産んではならないのだと考えた。だから、私は中絶を決意した。

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中絶を決めてから手術まで1週間の猶予があった。その7日間は私にとって宝物のような日々だった。
常にお腹にいる子どもを意識して、「愛している」と話しかけた。妊娠している期間が私の人生の中で最も幸せな日々だった。産んであげられない申し訳なさと罪悪感、妊娠したという幸福感がどこまでも私を追いかけてきたが、手術日までは前者の感情に知らんぷりを決め込んで、楽しく穏やかに日々を慈しむことに集中した。

いつか読んだ聖書に書いてあった「あなたは高価で貴い」という箇所の意味を初めて理解出来たように感じた。そして、そのフレーズをお腹の赤ちゃんに向かって呼びかけ続けた。

今でも手術台に横たわって、見上げた先にあったライトの眩しさを忘れることができない。
「中絶したくない」と思いながら、麻酔が身体中に回ってきた。再び目を覚ますと、当たり前だが、私は妊娠していなかった。つわりは治まっていて、少しだけ下半身から出血していた。何が起きたのかよく把握出来なかった。「中絶」がどういうことなのか、その時まで理解していなかった。

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ただ、妊娠する前の日々が戻ってきて、大学に通い、アルバイトをして、時々当時の恋人に会ってSEXしていた。妊娠していないこと以外の全ての当たり前が戻ってきて、それが私を悲しくさせた。「あの子」だけがいないということを受け入れられなかった。

毎月24日には、花を供え、あの子と最後に食べた夕食と同じメニューを食べた。心の中で何度もあの子がもし生まれていたらというたらればを考えた。
せめて天国では楽しく穏やかに愛に包まれながら過ごせていますようにと祈った。もう私にはそうやってあの子を忘れないようにすることしか、出来ることが残っていなかった。

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今年で2度目の命日を迎える。あれから2年が経ち、私は当時の恋人とは別れて、新しい人と付き合ったり、別れたりした。日常は無慈悲に過ぎて行き、私はこうして中絶の経験を文章化できる程度には立ち直った。
私は幾度も祈る。あの子が天国で楽しく穏やかに愛されて過ごしていることを。
今年も祈りながら、10月24日を迎えよう。