なぜ〇〇記念日というものは、その殆どが一年に一回しかないのだろうか。
結婚記念日とか初デート記念日とか、そういった記念日は一年に一日しかないけれど、大切だと思った日は自分で勝手に記念日認定をしてもいいのではないか?
私は自分の心の中で作った記念日が沢山ある。記念日を作った理由は単純で、毎日が楽しい&毎日が記念日だからだ。
楽しい日があると私の記念日情報は更新され、古い記念日は記憶とともに無くなっていく。だから私の作った記念日は、いつかは消えていくのだ。
記念日が消えていくことは悲しいけれど、記憶を永遠に留めておくことはできないので仕方ない。
だからこそ小さな出来事でさえ愛おしく、自分だけの記念日にしたくなるのだ。

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最近の記念日はゼミでの発表だ。
自分では「イマイチかもしれないな…」と思ったレジュメの発表だったが、ゼミの先生は「成長したね!」と褒めてくれた。
自己肯定感が皆無の私は褒められることがとても嬉しい。自分に自信がない分、認めてもらえると心の底から安心するのだ。
これだけ心が落ち着いたのは久しぶりだった。夜も安心してぐっすり眠ることができた。
だからこの日は「久しぶり安堵デー」と名付けた。

その前の記念日は友人と約束を交わした日だった。
友人は「久しぶりに二人でご飯を食べに行こう」と私を誘った。
コロナ禍で2年以上、友人と出かけなかった私はその約束が本当に嬉しかった。どこにご飯を食べに行くのかは当日になってからのお楽しみらしい。
イタリアンかな?中華かな?それとも和食?エスニック料理???
楽しみすぎて友人とご飯を食べに行く日が待ち遠しい。
そこで、この日は「焦らしご飯約束デー」という名前をつけた。

そのまた前の記念日は後輩と長話をした日だ。
大学の学食で約2時間、後輩と話し続けていた。これだけ長い間、人と話すのは久しぶりだったので、良い気分転換になった。
その後輩とはサークルの話や大学の履修登録の話をした。
コロナ禍で禁止されていたサークル活動が再開されることになったという。あと2年しかない大学生活を楽しむことができるように精一杯頑張ると後輩は話していた。
また、コロナ禍のオンライン講義で堕落した生活を送ってしまったので、今期はしっかりと履修登録をして生活を改めるのだといっていた。彼女の行く末を応援したい。
だからこの記念日の名前は「長話行く末応援デー」にした。

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もっと自分が作ったオリジナルの記念日を語ることもできるが、その一方で消えていく記念日もある。
自分の手帳を眺めると記念日の名前が沢山書いてあるが、内容まで思い出せないこともしばしばある。
思い出せないときは心の中が空っぽになったように、どこか寂しい気持ちが溢れてしまうが致し方ない。
私の記念日とはそういうものなのだ。
ただ楽しかった日があったこと、自分がその記憶を忘れたくないから記念日として名付けたこと、その行為は幻ではない。

今後も私は記念日を記していくだろう。その度に古い記念日を忘れていくだろう。
でも私は大切な記念日を思い出しながらこれからも進んでいきたい。