以前に少しだけ、趣味で小説のようなものを書いていたことがある。
十万字を超える長編を書くような時間と体力はなかったから、書き上げるものはどれも一万字にも満たない掌編ばかりだった。

書いてよかったと思える作品たち。どんな作品でも非公開にしなかった

私が使っていたサイトでは、定期的にお題やテーマが提示される。私はそのお題を見て思いついた物語を、授業やバイトの隙間時間にカタカタとパソコンに文字を打ち込んでいた。
幸いにも、私が活動していたそのサイトには温厚で平和主義の人が多かった。

私がどんなにつまらない作品を投稿したとしても、リアクションが伸びないことはあれど、面と向かって批判や悪口を言われたことはない。

また、私は何回か「ただ書くだけではもったいないから」といくつかのコンテストに応募したことがある。こういうコンテストに参加した人の中には、その結果に病んでしまう人も多い。

しかし私はコンテストで賞に引っ掛からなくても、誰かから「面白かった」と言ってもらえるだけで「書いてよかった。これは残しておこう」と思えるタイプの人間だった。だから、とっ散らかっている作品も残念な結果で終わってしまった作品も、それを理由に設定を非公開にすることはほとんどなかった。

書き上げた作品の中で唯一非公開にしている作品は「願望作品」だった

そんな私だが、書き上げた六十近い作品の中で一つだけ「何があっても二度と自分以外の誰かの目に触れさせない」と決めて非公開にし続けているものがある。
恋愛感情を持たない男女二人をテーマにした物語だ。

簡単に内容をまとめると、恋愛ができない二人がロマンティック・ラブ・イデオロギーが蔓延する世界で生きていくために、信頼関係からの結婚を選択するというもの。
これは私が人生で書いた三つ目の作品で、執筆歴が浅い割にはまあまあよく書けたとは思っているし、酷評を受けたわけでもない。それでも、この作品を公開することできない。

時折、「恋愛小説は恥ずかしくて書けない」と言っている人を見かける。なんでも自分の好みや性癖を綴ることに抵抗があるらしい。その人にとって恋愛小説とは、自分が普段口にできていない妄想をふんだんに詰め込んだ「願望作品」ということだろう。
私にとってあの作品は、まさしくこれだった。

私は恋愛感情を持てない。生まれてから約二十年、男性にも女性にも無生物にも恋愛感情を抱いたことがない。
言ってしまえば、あの掌編は私の妄想を具現化したものだったのだ。

恋愛はできないし、性欲もない。それでも心から大切だと思える人と一生を共にするという誓いを立てることには、人並みの憧れがある私の。

恋愛感情ではない繋がりの夫婦がいてもいいじゃないか。キスもセックスもしないけど、辛くて死にたくなった夜に愛する人の温もりを求めてもいいじゃないか。
どこに吐き出すこともできない、自分の胸の中でぐるぐると渦巻いていた感情をぶつけた作品だった。

胸を張って言えない願望。私はずっと、私を裏切り続けている

私は自分がどれほどこの世界ではイレギュラーであるかということを、既にいやと言うほど理解している。そして、今後の人生で自分はさらに苦労しながら生きていくのだろうということも。

自分が俗に言う「性的マイノリティ」であると自覚をした日から、自分の性的指向について積極的に口にしたことはない。多様性だなんだと言われていても、結局のところ世間の人たちが考えるセクシャル・マイノリティは「LGBT」までで、恋愛感情や性欲を抱かない人間がいることを知らない人がほとんどのはずだから。

誰もが「ありのままの自分で生きていきたい」と思っていることだろう。自分に嘘をついて生きるのは、辛くて苦しい。
私だって例外ではない。マイノリティであろうが、私は私なのだ。自分を偽ったって、なんの意味もないのだ。

そう思っているはずなのに、どうして私はあの作品を自分の中だけに留めようとしているのだろう。
理由なんて、敢えてこの場で考えるまでもなく明白だった。

私は誰かに「恋愛感情を持てないの?」と聞かれることが怖い。この子は普通とは違うんだと、冷たい目で見られることが怖くて仕方ない。
本当なら、あの物語を片手に「私は恋愛をしないけれど、結婚には憧れがあります」と胸を張って言っていなくてはならないのに。

私はずっと、私を裏切り続けている。