関西地方の飯はうまい。お好み焼き、ぼっかけなどの郷土料理は言わずもがな。ラーメンや洋食など、メジャーなジャンルの店も軒並みレベルが高いのである。
モールのフードコートに至っては、ポッポが何でも屋のごとく煮て焼いてゆでる田舎とはわけが違った。今日はチゲを食べ、その次の週末はルーローハンを食べ、また次はハムのクレープを食べる。そんな楽しみ方もできた。
モールの客層に見合う価格設定なので、リピーターを増やすことが利益増加の上で重要になってくる。なにしろ海外や国内で旅行をした時の屋台のように、競い合っているのだ。お隣さんに客を取られないよう、味のレベルを上げていくしかない。

時間帯によっては本当に席がなくなる。午前中で買い物を切り上げて電車に乗る日もあった。冷蔵庫の中を思い出しながら改札を通る。食材がなければ午後にスーパーに行くことにして、自宅付近でランチにするのだ。

◎          ◎

アパートから徒歩10分程の国道沿いに、うどん店があった。
平日は夕方のみだが、土日はランチ営業もしている。居酒屋メニューもあり、学生だけでなくサラリーマンもよく見かけた。マスターがヘビースモーカーなので店内は若干煙い。苦手な人は注意が必要だ。
お気に入りは釜玉うどんだ。初めて食べたときは感動した。
何しろ我が家においてうどんは病人食であり、ビタミンとたんぱく質が摂れるように野菜とかまぼこも一緒にじっくり煮込まれたものしか知らなかった。
コシも弾力も抑えたやわやわのものしか食べたことがない。讃岐風のごりごりした麺そのものを楽しむ調理法は未知だった。

学生証を見せると無料で増量してくれるので、たくさん食べたい日にはありがたい店だった。こもりきりになる卒業論文の時期でも通い詰めていたため、卒業時には10kg太っていた。後悔はしていない。

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平日はどうしていたかというと、純喫茶にいた。復学後に選んだアパートは川の前にあって、1人ずつしか渡れない細い鉄橋がかかっていた。それを渡って上流側に10m進むと、家族経営の小さな喫茶店があるのだ。
割合大きな大学で、キャンパス内や正門側の最寄り駅には若者向けのコーヒーショップなどが集まっていた。学生のグループはそちらに流れるため、この店に集うのは地元のマダムや老人たちだ。談話がヒートアップするとママがやんわり止めに入る。おかげで普段は聴く機会のないクラシックのレコードを、マリー・ローランサンの椿姫を眺めながら堪能できるのである。

コーヒーはもちろん濃くてうまい。レポートで徹夜明けのすきっ腹にはしみた。そしてサンドイッチもうまいのだ。トーストした山型の食パンに、マヨソースであえたコンビーフを野菜と一緒に挟む。断面にタバスコを2滴程垂らすと、味が引き締まる。サイズはコンパクトだが、意外と食べ応えがあるのでハーフで十分だ。

ここも卒業まで通った。発達障がいで授業と授業の切り替えが苦手な私は、空きコマに来てリセットしていた。引っ越しの前の日も、やっぱりここのコンビーフサンドとコーヒーで終わりにしたのである。

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休学を含めると6年間、関西と長野を行き来した。この間ずっと通った味といえば、やはり学生街の生パスタだ。ここは人生で初めてビールを飲んだ店でもある。
父が夏休みを取って祝いに来たのが懐かしい。といっても私はまだ授業があったので、朝早くから奈良やら竹田やらの観光地に1人で出かけていたようなのだが。
自動車免許に受かった時も、発達障がいとうつ病でどうしようもなくなった時も気づいたらここでパスタを食べていた。通院のために夜行バスで帰る日も、腹ごしらえは決まってここだった。晴れて卒論が認定されたときは、叔父一家と共に打ち上げである。
普段はカルボナーラかボロネーゼ、めでたい時は漁師風にアップグレード。喜びも悲しみも、この味と一緒に分かち合った。私が救われたように、また今日も悩める学生を救う一皿をマスターは提供していることだろう。

次の夏休みも、元気に食べに行けるように頑張って私は生きている。