4~10歳の6年間、父の仕事の都合で香港に住んでいた。
というといわゆる「美食」と呼ばれるような、繊細な味の食べ物が好きなイメージをもたれるかもしれないが、決してそうではない。

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飲茶の前にお通しとして出される、塩がたっぷりかかったピーナッツ(飲茶……中国茶を楽しみながら点心を食べる香港の伝統的な習慣)。
フェリーに乗る前の自販機で買っていた、紙パックのレモンティー(喉が焼けるほど甘いがこれがたまらない)。
香港ではレギュラーメニューだった、マクドナルドのソーセージエッグマフィン(日本では朝マックのみのメニューであると知った時は驚いた)。
テニスの後に食べていた5ドル(70円くらい)のソーダアイス(中にゼリーが入っていて、シャリシャリのアイスとぷるぷるのゼリーのコントラストが好きだった)。
蝦餃(ハーガウ)と呼ばれるブリブリの海老入り蒸餃子(プリプリじゃなくブリブリなのだ。本当に)。

このようにいざ記憶を掘り起こして残っていたのは、ガイドブックに載るような名物ではなく、何気なく食べていた日常の食べ物ばかりだった。

上記で挙げたものは、今香港に行っても食べることができると思う(現に5年ほど前、一人旅で香港に行った時食べてきた)。
しかし残念ながら、お店がなくなっていてもう食べられなくなったものがあった。
それは「近所にあった広東料理屋の炒飯」だ。

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家族でよく行っていたこのお店のことは、今でもよく覚えている。
まず印象的だったのは店員が全員40~50代の男性だったのだ(厨房、ウェイター含め)。
彼らは恐ろしいほど愛想がなかったが(なんなら店に入るとちょっと面倒くさそうな顔をする)、不思議とあまり不愉快ではなかった。

頼むものはいつも決まっていて坦々麺と餃子、そして炒飯だった。
坦々麺は一口では啜りきれないほど長かったので、いつも別でハサミを注文して、自分達で切って食べていた(日本だったらクレームものだと思う)。
餃子は饅頭かと思うくらい大きく、それでいて安いので、子供ながらに儲けを心配していた(ジューシーかつモチモチしていた)。

この2つも充分美味しかったのだが、さらに美味しかったのが炒飯だ。

見た目はこれといって特徴のない普通の炒飯である。
ただ他の店の炒飯と違ったのは、魚のすり身のような味がするプリプリとしたものと、アスパラガスのような味がするコリコリとしたものが入っていた。
この2つの「なにか」がパラパラとした炒飯に面白い食感と味のアクセントを生み出していて、とても美味しかったのだ。
一度気になって、父に何が入っているか店員さんに英語で聞いてもらったことがあった。
しかし彼らは広東語しか分からず、うまく会話ができなかったことを覚えている。

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5年前行った時、このお店がなかったので、代わりにホテルの炒飯を食べた。
とても美味しかったのだが、やはりあの炒飯は越えられないと感じた。
このお店のおかげで、私の炒飯に対するハードルはとても高い。
日本の冷凍炒飯も充分美味しいのだが、どこか物足りなく感じてしまう舌になってしまった。
もう食べられないというのも相まって、心地よい幻想となっているのかもしれない。
だからこそ、私にとってはどうしても忘れられない味なのだ。