自分のやりたいことと、向いていることに矛盾を感じた事はあるだろうか。
それは例えば、アナウンサーになりたいのに人前に出て注目されるのは苦手だ、といったような。
今あげた例は、まさに私そのものだ。
小さい頃からの夢はアナウンサーになることだった。テレビに映る、綺麗なお姉さん。それが私の目標だった。名前だって世間に広がる。そういう職業だから。そしてそういう職業に憧れていた。
言わないとなれない気がした私は「アナウンサーになりたい」と言った
高校生の時、周りの流れで、SNSを始めた。情報網はまるでコードの絡まったイヤホンのよう。絡まると解くのが難しい。しかし、放っておくとまた、絡まる。解く。絡まる。解く。上げた投稿や連絡を何度も確認する。私ってどう見られてるのかな。どう思われているのかな。数少ない人間関係の中でも、自分が、自分の関わるネットワークにはとても敏感な人間であることには薄々気が付いていた。
進路選択のとき、
「アナウンサーになりたいんです。」
と迷わずに言った。そうしないとなれないような気がしたから。ただ画面の向こうの理想像だけを追い求めて、上部だけで夢を語っていた。
私はこの春から大学生になる。
アナウンサーになるために、アナウンススクールの見学や、ZOOMの説明会にも参加してみた。
そこで、目を背けていた5文字が、マントを引き剥がすように出てきたのだ。ビリビリと。
「向いてない」
現実を知って思ったのは「やりたいこと」と「向いていること」の違い
可愛い子がたくさんいる、ハキハキ喋れる子がたくさんいる。
そうだよな、アナウンサーになりたい人なんてこの世界にたくさんいるんだよな、と改めて思い知らされた。そして、たくさんいるだけでない。明らかに、自分よりもアナウンサーに「向いている」と感じる同志たちがそこにはたくさんいた。
高校時代、SNSに抱いていた感情が再び現れた。
そして突然ふと思った。
自分のやりたいことと、自分が求められていることが、違う気がする。
人前に出たいのに、人前に出るのは苦手な気がする。
こういった場合、どうしたら良いのだろうか。
そのまま突き進んでみると案外克服出来たりするものなのだろうか。
一度ここで立ち止まって、自分の向いていることに路線を移すことが、自分の幸せなのだろうか。
でも、やりたいことをやったほうが自分の幸せになる気もする。
矛盾を抱えたまま、何日も日付だけが変わっていった。
夢を捨てる選択。突然、私には何も無くなったような気がした
そして、私は、夢を捨てることにした。
どうも、アナウンサーになりたいという目的に縛られすぎている気がするのだ。アナウンサーになるために、スクールに通おうだとか、アナウンサーになるためにボランティアに参加してみようだとか。
果たしてそれらの本質がアナウンサーになることに直結しているのかが分からなくなってきたのだ。だからこそ、いったんゴール地点であるこの夢を手放して、目の前のものから、自分がやりたいことを見つけることにした。
急に、自分に何も無くなってしまったような気がした。今までアナウンサーになるための選択ばかりしてきたから。アナウンサーになることが私の、大切な夢だったから。
でもこれからは、自分が進んでいったなかで、最終的に自分に合った仕事を見つけられたらいいなと思うようになった。その考えが湧き出てから、日々、目の前の興味のあることに貪欲になれてきている気がする。
夢を持つことは大事。でも、変わることは悪いことじゃない
夢を持つことは大事なことだ、とよく人は言う。私もそう思う。
それが小さい頃から大人になるまでずっと変わらなくて、イメージを現実に変えられることはとても素敵なことだと思う。
その職業を続けていく中で、それがその人にとっての幸せなのだとしたら、尚更、やりたいことと向いていることのピースがはまっていたのだなと思う。それはとても素敵なことだ。
でも、そんな人ばかりじゃ無いと思う。
小さい頃からの夢が少しずつ変わっていくことだってあると思う。
それは、特別なことじゃない。
むしろ、周りの環境で自分の考え方が変わっていくのは自然なことだと、私はそう捉えるようになった。
何も恐れることはない。
時には自身の抱える矛盾と戦えど、私はそうやって変わっていく自分を受け入れたい。そしてそういう自分と上手く共存していきたい。そう思うのだ。
ふとどこかの誰かが、言っていたことを思い出した。
「生きるとは、変わること」だと。