今年は、祖母が他界して20年になる年だ。
私はいまだに、祖母が取ってくれた出前の天丼が忘れられない。
私は一人っ子で、母方の祖父母からしたら初孫だった。
かといって甘やかされた記憶はない。
祖父は物心が付く前に他界していたので、そこのところはわからないけど。
祖父母とも浅草に縁があって、いわゆる江戸っ子。
プレゼントやお小遣いも貰っていたが、「ほれ、もっていきな」といった感じ。
「ナントカちゃん、これどうぞー!」みたいなニコニコ笑顔なイメージはない。
◎ ◎
祖母宅は自転車で10分もかからない所だったので、わりかし頻繁に遊びに行っていた。
私は遊びに行っているつもりだったけど、母はつもる話があったのかもしれない。
そこはかなり年季の入った団地。エレベーターもなけりゃ、なかなか急な階段だったり、手すりの塗装が剥げていたりするような、こどもにはちとばかし怖いところだった。
ゆで卵の殻を剥く感覚に似ていて、手すりの塗装をペリペリしてたことは内緒の話。
地元で有名な花火大会があって、祖母の部屋からよく見えた。しかし、数年後にはマンションがふさいでしまったのがとても残念だった。
まだ花火が見えていた頃、祖母宅へ行くと出前を取ってくれた。
それは“お蕎麦屋さんの天丼”だ。
蓋も閉まらぬほどはみ出しているエビが大好きだった。
青い模様の陶器の丼もなんだか好きだった。
初めは多分、こういった特別な時に取ってくれていたが、次第に私がおねだりする形になる。今日はだめ、と江戸っ子口調で叱られることもしばしばあったなぁ。
自宅へ帰る時に祖母の部屋の玄関前に丼を置いていくのが、こどもながらに風情を感じていた。
この階段をお蕎麦屋さんに登らせるのも申し訳ないなと、こどもながらに思っていた。
◎ ◎
天丼と聞いて、皆様が思い浮かべるのはどんな天丼だろうか。
チェーン店の天丼、コンビニの天ぷら弁当、和風レストランの天丼。
きっと大多数の人が思い浮かべるそれと、私のそれとは“色”が違う。
あの天丼は、これでもかというほど茶色かった。
お蕎麦屋さんの○○というメニューは基本うまい。
やはり出汁が効いているのだろうか。
あの天丼の調理過程を知らないので憶測にすぎないが、タレにどっぷり浸けるタイプだと思っている。
エビの尻尾の先まで茶色いのだから。
茶色とひとえに言っても濃淡や種類がある。私が言っているのは、限りなく黒に近い茶色。“限りなく”はさすがに盛っているが。
東は濃くて西は薄い。
うどんの出汁でよく比較される。
江戸っ子はしょっぱいもの好きなのか。
あの天丼もまた、しょっぱかった。
無論、私もしょっぱいもの好きだ。
甘味も好きだけど。
ただしょっぱいだけじゃない、噛むとジュワっと口に広がる甘みもたまらない。
ごはんが進むってやつだ。
無論、ごはんにもこれでもかとタレがかかっていた。
野菜を好んで食べてこなかった私も、天丼のカボチャやいんげんは好きだった。
タレのおかげでしかない。
たっぷりタレが付いているのに、まだ衣のサクッと感も残っている箇所があって、それもたまらない。
口いっぱいに頬張って食べるもんだから、「もっとゆっくり食べなさい。誰も取らないから」と言われても箸が止まらないのだ。
◎ ◎
祖母が他界してから、家が近くとはいえその周辺には行かなくなった。
今もまだお店があるのかもわからない。
あったとしても、お店に伺ったことはないから、ちょっと躊躇いがある。
個人経営の飲食店に、気軽に入れる大人になりたかった……。
ライブの遠征先やどこかへふらっと出掛けた際に、ちょっと探してみたりもする。でもやはりあの茶色くてあまからい天丼はまだ見つけられていない。
いつかどこかで出会えたら、泣いてしまうかもしれないな。
いや、まずはあの天丼を作ってるお蕎麦屋さんを確かめに行くのが早いんだけど。