大学3年生の夏、私はリトアニアという国に短期留学をした。
その滞在中に食べた料理に、シャルティバルシチャイというものがある。“冷たいボルシチ”という意味で、夏によく食べられる。いわばリトアニアの夏の風物詩だ。
留学前にこの料理の存在は知っていたので、渡航したら絶対に食べたいと心に決めていた。

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渡航後の休日にリトアニア料理のお店に入り、注文してからしばらくして運ばれてきたのは、写真で見たときよりも遥かに鮮やかなピンク色をした冷たいスープだった。その色のインパクトも忘れ難い。
この鮮やかな色は着色料ではなく、ビーツという野菜から出た色であるということも特筆すべき点である。

肝心の味はというと、なんとも不思議な味だった。
具材はビーツ、きゅうり、茹で卵。そこにケフィアというヨーグルトのようなものの酸味、ディルというハーブの香りが加わる。野菜と乳製品を混ぜることにあまり馴染みがなかったので、その組み合わせにも驚いた。
鮮やかな色ととろりとした感触とは裏腹に、冷たくさっぱりとしていて美味しい。栄養たっぷりで、夏には嬉しい料理である。

初めてのシャルティバルシチャイ体験から数日後、大学の授業の中でリトアニアの料理についての授業があった。もちろんシャルティバルシチャイも紹介され、なんと作り方まで教えてくれた。
リトアニアでしか食べられないと思っていたが、作り方は意外にも簡単だった。これは帰国したら作らねばと思い、作り方をメモし、YouTubeなどに動画もあるとのことだったので教えてもらった。

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さて、帰国後、早速材料探しの旅が始まった。
きゅうりと卵は普通にスーパーで買える。問題は茹でたビーツの瓶詰めとケフィア、そしてディルだった。並みのスーパーではなかなかない。
ディルは栽培もできるようだが、日本の気候だと夏は暑さで枯れてしまうと大学の先生に教えてもらった。作り方は簡単なのに、材料集めが想像以上に大変だった。

ディルはなくてもなんとかなるし、ケフィアもヨーグルトと生クリームで代用できそうだという結論に至った。ビーツが揃えばなんとかなるのになあと思っていた矢先、業務用スーパーで茹でたビーツが真空パックにされたものを見つけた。さらに嬉しいことにリトアニアからの輸入品である。私は迷わずに購入した。
帰国してから次の夏のことだった。やっとこれで念願のシャルティバルシチャイが作れる。

やっとのことで材料をかき集め、作ったシャルティバルシチャイ。いざ食べてみると味は悪くなかった。日本で手に入るもので代用したものもあるため、味の再現度は多少劣るとは思っていた。
全体的に満足のいく出来ではあったが、何かが違う気がした。その“何か”を突き止めるのに、これまた1年ほどかかるのである。

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その“何か”が判明したのが、『リトアニアを知るための60章』という書籍を読んだときだった。
食生活の章の締めに、「足りないものは、いつも温かくもてなしてくれるリトアニアの友人たちの素朴な笑顔と気取らないお喋りだろうか。リトアニアの格別に美味しいものはことごとく、あの国でなければ存分に味わえないような気がする。」というところがあった。
私はまさにこれだと膝を打った。

料理というのは味ももちろん大事だが、そのときの周りの環境や人々、聞こえてきた音も記憶に残るものである。私の記憶に刻まれているシャルティバルシチャイは、リトアニアの民族音楽が流れ、伝統的な工芸品が飾られ、現地の人たちが話すリトアニア語の音に包まれた空間と共にある。あの空間がまるごと大好きだったのである。
いつかまた、懐かしいシャルティバルシチャイを現地で味わいたい。