私は塩ラーメンが嫌いだ。どんなに美味しい一杯でも、初めて食べた塩ラーメンの味が舌に蘇ってしまうからだ。

幼いながらに「まずい」と感じる母の料理はいつも薄味だった

茹ですぎてぶよぶよの細麺。規定の倍以上に薄められたスープ。端的に、まずい。
スーパーでよく売られている、3玉200円スープ付きのチルド麺。説明書通りに作れば美味しくなるはずが、母の手にかかり無惨にも可哀想なこととなってしまった塩ラーメン。それを昼食に出された幼稚園児の私は、この世にこんなにまずいものがあるのか、とびっくりした。なんなら、初めて自主的に食べ物を残した記憶でもある。

母の料理は薄味だった。味噌汁がほとんど、お湯である。言うまでもなくおかず全般において、調味料は香り付けくらいの少量だった。ほうれん草のおひたしだけは、自ら醤油をかけることになっていた。小皿にのせられた、茹でてくたくたになったほうれん草。それに毎回かけすぎてしまうくらい、私は塩味を切望していた。

更に、麺類を表示されている時間より3分ほど長く茹でないと気が済まないらしかった。ねっちょりとしているパスタや崩壊しかけている素麺。ソースや麺つゆと食べているはずなのに、どうしてだかもれなく味がしない。
それらも決して美味しい記憶ではないけれど。やはり、あの塩ラーメンには及ばない。

塩ラーメンと衝撃の邂逅をするまで、醤油と味噌のラーメンは何度も食べたことがあった。たまに家族で行く中華チェーン店の美味しい醤油ラーメンや、休日の父が作ってくれる野菜たっぷり味噌ラーメン。しょっぱくて旨みがあって、チャーシューの脂が脳髄に溶けて。実は稀にのっているナルトも大好き。幼い私はラーメンと聞くと気分が高揚した。非日常の特別な食べ物と言ってよかった。
それを裏切った、一杯の塩ラーメン。

幼児食の焼きそばを味見して思い出したのは、あの時のまずさで…

先日、お昼ごはんに焼きそばを作った。私と夫と息子、3人分。野菜を炒めて、小さいフライパンへ少し取り分ける。大人用は麺と粉ソースを買ってきたまま使った。1歳半の息子には麺を下茹でして、味付けを出汁と少量のごま油に変えた。
いわゆる幼児食の焼きそばを、食卓へ出す前に味見した。柔らかすぎる麺と薄味に垣間見たのは、あの時のまずさ。

子どもは固いと噛めなくて喉を詰まらせる。身体が小さいから、塩や油に気をつけないと負担がかかる。

そういう、当たり前に気を使うことを、母もしていたのだと気づいた。ありがたいとは感じるけど、母ってすごい、とは素直にならなくて。

私は大学進学と同時に実家を離れた。時々帰省するたびに、母の料理が普通になっていった。味噌汁から味噌の味がしたのだ。これは大変、驚くべきことである。
不思議に思って聞いてみると、レシピ通り作ることはできるからね、と返ってきた。ならもっと早くからそうしてよ、と思ったのだが。今食べているご飯が美味しいからいいか、とその時はそのままおかわりをして流した。そして最近まですっかり忘れた出来事となっていた。

母が作ってくれていた美味しくない料理の「理由」が分かったとき

つまり母は意図して、美味しくないけど配慮のある食事を作り続けていたということだ。
でもなあ。子どもとはいえ、高校生への食事も、律儀に幼な子向けで作ります?
母のそういう、四角四面なところが苦手だ。

相変わらず、塩ラーメンを自ら選んで食べることはない。ただ、思い出の味が変わったので、次の機会があれば、もしかしたら悪くないと感じるかもしれない。
気まぐれが起きたらスーパーでチルド麺とスープの素を買ってきて、自分で作ってみたい、かもしれない。きちんと分量通りに。