人は記憶を少しずつ失っていく。
忘れることと忘れないことには、一体、何の差があるのだろうか。
その中で、忘れられない、忘れることができなかったこと。
言葉をなぞる。その中で少し思う。
忘れられないことの中にはきっと、自分が、忘れたくないと思う感情が混じっている。

私の忘れられない街は、大学時代、4年間を過ごした街。
寂しくて騒がしくて、私の好きな人たちが住んでいて、暮らしていた街。
誰かに一言で説明すると、4年間大学に通うために下宿していた街、それだけだ。
でも、それだけになってしまう事すら、微笑ましい。それくらい私の4年間の日常は、愛おしい記憶だ。

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大学にはほぼ毎日行っていたが、いろんな帰り道があった。
帰り道は好きだ、その日がどんな一日だったか考えることができるから。その中でも、私は飲み会からの帰り道が好きだった。

外に飲みにいく時。
居酒屋の多い地区から、住んでいるエリアまでは自転車で20分ほど。授業が終わり夕方に自転車でお店に集合し、帰りは自転車を押して帰る。自転車で20分だから、歩くと40分。お世辞にもアクセス良好とは言い難いが、酔いを覚ますには、人と話すには意外とちょうどいい距離で、いろんな会話が生まれる空間だった。

しんとした国道沿いの街灯の下で話す打ち明け話、信号が何度変わったか分からないまま話すレポートの話。一回帰り道の道中で振られたこともあった。
歩くときの距離感も、速さも、位置も、いろんな人がいた。

誰かの家で飲む時は、早めに集合して、材料を調達しにスーパーに自転車で漕ぎ出す。みんなで良いきゅうりを選んだり、お酒足りるかななどと思案して材料を買い集め、家に戻って各自担当がおつまみを作る。
研究について語る者、人生について語る者、なぜか爆笑している者、歌う者、飲み終わってから皿洗いをして帰る者もいれば、そのまま朝まで寝る者もいた。

その帰り道、真冬の深夜2時に、私は初めて自転車のサドルが凍り、星が冴え渡る夜空を見た。私の地元では、サドルは凍らないし、星空がこんなに綺麗には見えなかったから、ようやくその時に、自分は故郷よりずっと北にいること、一人であることに気づいた。

そんな些細なことばかりが、帰り道が、好きだった人と歩いた夜道が、星の輝きが、まだずっと忘れられない。

あれをきっと青春と呼ぶんだろう。感情の揺らぎがたくさんある4年間だった。
こんなに忘れたくない感情と思い出があったら、未来で現状と比べて辛くなってしまうのではないかと卒業前に悩んだりするくらい、どこの曲がり角にも思い出ができた。

だから卒業して街を出る時はずいぶん悲しかった。
この街の人たち、好きだったな。ずいぶん知人、友人も増えた。
全部写真に撮っても撮りきれなかった、こんな好きもあるということを、知った。

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社会人になった今、あの頃の思い出は、持て余す事なく、ちょうどよく私の心を日々支えてくれている。終電の車内、夜の高速道路でも、通学時に聞いていたプレイリストを再生すれば、私にも鮮やかな記憶があった時期を、誰かを思い出して微笑むことができる。

電車に乗れば、あの街に帰れる家はないし、あの頃に戻ることはできないけど、よく行っていたお店にも行って、思い出の味を味わうこともできる。しかし今の職場では、あの街に戻れる見込みはないので、多分もう、新しい思い出を積み重ねていくことはできない。

今はまだそれでいい。
でも、もっと先、この感情の記憶は徐々に薄れていくのだろうと思う。足も動かなくなって、思い出のお店もそのうちなくなって、街は変わり、行くことも叶わなくなる場所も増えるのだろう。

それでも、あたたかく生きていた実感のある記憶があることは、きっと何度でも思い出す。
忘れたくないから。何度も思い返してほしい、私よ。ぼやけてしまうかもしれないけど、何かが残ると信じて。

きっとあの街は忘れられない街になる。
私しか知らない、あの街の片隅に確かにあった時間を、まだこの世に留めておくために。