大学2年生の冬、大好きだったアルバイトを辞めた。
高校卒業と共に始めた、憧れのカフェでのアルバイトは、見るもの全てが新鮮で、人にも恵まれ、毎日充実していたと思う。
頼もしい先輩や、素敵な常連さんたちに囲まれ、楽しく働いていた気がする。
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でもいつからか、バイトに行くのが億劫になって、「今日こそは辞めてくる」というのが口癖になっていた。
思い返せば、確かその頃、一斉に人がいなくなった。
親切にしてくれた社員さんは産休に入って、よく面倒を見てくれていたバイトリーダーは他店舗に異動になって、他の仲良くしてくれていたバイトも数人辞めた。
そしてその頃から、店長とシフトが被る度、何かしらの指摘を毎回受けるようになった。
始めのうちは、「もっとこうすればよくなると思うよ」というアドバイスがほとんどで、「はい、ありがとうございます。」と素直に受け入れていた。
それが次第に、「接客時のお客様とのコミュニケーションが長い」だったり、「視野が狭くて周りが見えていないよね」「『後ろ向きな発言が多い』って“みんな”がよく言っているよ」といった、個人的な指摘を毎回受けるようになって、これまで積み上げてきた私の自信は、毎回のシフトインの度にむしり取られていった。
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今の私なら、これらの対応は、店を統率する者として、決して適切なものではないとわかるし、20歳にも満たない小娘に、三十路手前の大人が行う発言ではないことが簡単に理解できる。
でも19歳の私にとって、社会に出るってそういうことで、お金を稼ぐ以上、多少の辛いことも仕方ないと考えていたし、ただでさえ人手不足の状況で、他の人に迷惑を掛けたくなかった。
それでも体は正直で、連日の激務に加え、まともに休憩ももらえない環境によって、私はとんでもないほどの高熱を出した。
人生初めての41度を叩き出し、コロナ禍じゃなければ入院レベルの扁桃炎を患い、学校にも、バイトにも行けず、なんとか手術は免れたものの、1か月以上家に引きこもることになった。
ただ天井をぼーっと見つめる日々の中、ある衝撃の事実に気づかされた。
それは、これだけアルバイトを休んでいても、お店は回っていて、わざわざ体を崩してまで私が働く必要はないということ。
思えば熱が出た時、しばらく出勤できないことを伝えた際、「PCR検査を受けたら会社に報告する必要があるから、回答しておいてね」とURLが送られてきて、文末に申し訳程度に「お大事に」と書き添えてあるだけだった。
私がいつまでもここに居続ける理由はない。
あくまで私の本業は学生で、これはただのアルバイトで、結局は親の扶養なんだ。
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そこから完全に夢が覚めてしまって、契約更新月の2か月前に「来月末で辞めたい」と店長に告げた。
すると、「そんなの急に無理だよ」と謎にキレられ、「辞めることが分かっていたら、研修に時間を費やすことなんてしなかったのに」という捨てゼリフまで頂いた。
労働基準法では、アルバイトは14日前までに退職の希望を出せば退職できるはずだし、あなたの人格否定が無ければ私がここを辞める予定もなかった訳で、どこから説明すればいいのかな?と脳内会議が繰り広げられる中、感情丸出しの相手に対し、「すみません、もう決めたことなので」と冷静に繰り返し続けた。
その後も、退職の手配を全くと言っていいほど進めてもらえず、結局親が直接連絡をしたことで、ようやく必要書類の準備を手配してもらうことができた。
それでも一緒に働いていた他の人たちからは、最終勤務日、両手に抱えきれないほどのプレゼントと全員からの寄せ書きをもらい、休日であるにも関わらず、わざわざ私に会いに来てくれる人が何人もいた。
今回、この場所から逃げるという選択を選ぶことになったけど、私のやり方は決して間違いではなかったし、それを認めてくれる人がここにもちゃんといたということに気が付けて、
すり減った自信が少しだけ戻ってくれたような気がした。
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きっとこの先も、生活する上でお金は必要不可欠なもので、だから社会に出て働く必要がある。
でも、私たちが働く根本的な理由ってお金を稼ぐためで、自分自身をすり減らして、体を壊してまで働く必要ってあるのかなって思う。
自分を大切にできなくなるような環境にわざわざ身を置く必要はないし、人生において最も大切にすべきものって、自分や自分を大切にしてくれる人なんじゃないかな。
19歳で、こんな貴重な発見と出会えたこと、世の中には様々な人間がいて、どう頑張っても分かり合えない人間がいるということを教えてくれたあの人には、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
P.S. 世の中には、本音と建前というものが存在するそうです。