「この仕事が私の天職」とか、「この仕事に人生を捧げたい」とか言える人がいる。
私は今までバイトも含めて色んな仕事をしてきたが、面白いと思えた仕事は無い。
だから、人生の大半の時間を占めざるを得ない仕事をそんな風に思えるなんて、なんてラッキーな人だろうと羨ましく思う。

私の周りには仕事で優秀な結果を残す・残そうと取り組む人が多い。
仕事上の付き合いでしかないのに、人格否定をしてくるような上司に関わって鬱になってしまった人。任された仕事が大成功を収め、メディアに取り上げられた人。朝から深夜2時まで当たり前のように仕事する人。休日でも当たり前のように対応し、友達と遊んでいる時も連絡が入れば申し訳なさそうにカフェに駆け込んで仕事する人。職場で嫌がらせを受けて心の病気になった人。

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私も仕事で非常に悩まされたことは何度もある。
肌に見たことのない出来物が無数にでき、休日平日問わず家に帰れば涙が止まらず、体重は10キロ近く増えた。
仕事への恐怖で毎日が支配されていた。私の仕事なんて、そつなくこなしてしまう人はごまんといる。
もっと利益を出せる人もいるし、かっこいい提案ができる人もいる。
私なんていなくても会社は回るし、社会も回る。
それなのに、どうして私は毎日毎日仕事のことばかり考えているんだろう。
仕事のことを考えながら起きて、日中は仕事に夢中になって、明日の仕事に怯えながら家に帰る。
こんな毎日を過ごすことが大人になるってことを指すんだったら、喜んで普通の大人をやめたい、と思って私は転職した。

転職先では仕事の内容も量も改善され、落ち着いて業務に取り組むことができるようになった。
自分のメンタルの状況も俯瞰的に観察できるくらい、穏やかでいられるようになった。
そんな穏やかさを取り戻してやっと気づいた。ああ、この人生の主役は私だったのだ、と。

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仕事とのよい距離感というものが何なのか、私にはわからない。
私はできれば仕事のことを1秒でも長く考えていたくないし、仕事とプライベートを断絶したい人間だ。
ところが友達は休日も職場の人とBBQしたりする。飲み会にしょっちゅう参加する。職場の人と付き合ったりもする。連絡が入れば休日でもPCを開く。
色んな仕事との向き合い方がある。その人にとってそれが「楽しい」「やりがいがある」状態だったらそれは素晴らしいことなんだと思う。

でも、少しでも違和感を感じるのであれば、私はその距離感をいつだって立ち止まって、見直したい。
だって仕事って、人生の大半を占めるのだ。
無理に好きになることはない、辛いならいくらだってやめていい、逃げていい、と私は思う。
キャリアに傷がつくのを恐れてきた人生だったが、仕事するのをお休みして傷がつくようなものにしがみついても、どうせしがみついた先にあるのは今と変わらない働き詰めの毎日なのだ。

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働かないと生きていけない、働かないとキャリアに傷がつく、誰々はいい企業で働いてる、〇〇歳だったら年収〇〇万円じゃなきゃいけない、税収がどう、老後がどう、とか。人は社会は皆色んなことを言う。
でもいつだって主役は仕事ではなく、会社ではなく、回る経済ではなく、あなたなのだ。
いくらだって逃げていい。
年収がいくらだって、仕事で表彰されたって、幸せじゃなかったら虚しい。
いい人生かどうかは仕事の出来ではなく、私が幸せかどうかでしかはかれないのだ。
人生を楽しもう。