私は今、とある飲食店でアルバイトをしている。給与はどのくらいかというと、決してブラックではないが同僚が「仕事量に対してこの時給って割に合わない!」と口々に言う程度である。私も単に「お金がほしいから」という理由でアルバイトを選んでいたら、この職場は選ばないだろうと思う。そんな感じだ。では私がなぜこの職場で働いているのか、少し語るのでよかったら読んでほしい。

アルバイト初日にミスをしてしまい、直感的にクビになると思った

そもそも私がアルバイトを始めたのは、自由を優先して育ててくれた両親から珍しく「社会経験を積むためにやっておくべき」と言われたことだったからである。両親が口を揃えて言うことだから余程大切なのだろうと思ったので興味もあった。「お金ももらえる、みんなもやってる、社会経験も積める、なんか面白そうだしやってみるか~」そんな気持ちだった。いくつか面接を受けて、受かったのがたまたま今の職場だったのでそこで働くことにした。

働きだした日、私はミスをした。忙しい厨房でグラスを派手に割ってしまったのだ。「あ、クビだ」と直感的にそう思った。使えない人間のレッテルを貼られると思った。お給料を貰っているのに自分はなんて使えない奴なんだ、とも思った。「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。辞めます。」という言葉を頭の片隅に用意しつつ私は店長に「すみません、グラスを割ってしまいました。」と自分の過ちを告白した。そんな私の告白を聞いた店長が真っ先に言った一言は「ケガはない?」だった。私はなんて寛容で優しい人なんだ、と驚いた。さすが上に立つ人間は違う、とも思った。

「頑張ってるのみんな知ってる」。過程を評価してくれた先輩の言葉

店長への報告を終えて私が厨房に戻ると、厨房にいた先輩が「大丈夫だった?初日なのにこんなに忙しくて、全然仕事教えてあげられなかったからだよね、ごめんね。」と声をかけてくれた。私は先輩からの優しくてあたたかい言葉に涙が出そうになった。

それから一年程経ち、仕事には慣れてきたものの思うように仕事が出来ず私は深く悩んでいた。そこでとある先輩に「こんなに長くやってるのに仕事が上手くできません。自分が情けないから辞めたいんです。」と打ち明けた。するとその先輩は「そんなことない。もにゅが頑張ってるのみんな知ってるし、ちゃんと出来てる。そんな風に思う必要ない」と言ってくれた。私は「結果」ではなく「過程」を評価してくれている人が周りにいてくれていることを知り、深く感動した。

私が働く理由、それは「人」。お金に代えられないものがある

ここまで私はアルバイト先の人たちの素晴らしさを語ってきたが、何を隠そう私が働く理由はここにあるのだ。そう、「人」である。ここで語ったのはアルバイト先のごく一部の人についてだが、その人たちのような寛容さや優しさ、人の本質を見る力をこのアルバイト先の人たちはみんな持っている。バイトに対するモチベーションは決して高くなかった私だが、人の素晴らしさに触れ、こんなに素敵な人たちと一緒に仕事ができることが嬉しくて今は働いている。

世の中には「お金」のために働いている人がたくさんいる。生活の豊かさに直結するとされるお金が働く上でモチベーションになることは間違いない。だがお金に代えられないものが働く先で手に入るとしたらどうだろうか?お金はそれでも天秤にかけられる対象なのだろうか?少なくとも私は、お金が天秤にかけられないことがあることを知ってしまった。だからきっと私は、働き続けられる限り「お給料に見合わない仕事だ」と笑顔で愚痴をこぼしながら働くことを選ぶだろう。