SNS。ソーシャルネットワーキングサービス。
総務省は『登録された利用者同士が交流できるWebサイトの会員制サービス』を定義としている。
1999年には「2ちゃんねる」、2004年「Facebook」「mixi」、2005年「YouTube」、2006年「Twitter」、2010年「Instagram」、2011年「LINE」、2017年「TikTok」、2020年「clubhouse」がサービスを開始し、文章投稿型、写真投稿型、動画投稿型、ライブ配信型、音声配信型、等の種類によって人々の承認欲求を満たしている。
SNSは、時にマイノリティが安心できる世界を作り出してくれる場所だ。

そんな世界の中で、どん底の精神状態にいた私は1人の男と知り合った。
彼と私は自然と意気投合した。
同じ東京という場所に住み、走る鉄道路線が85もある中で最寄りの駅が近かったということや、同じ職種であったこと、似た恋愛遍歴を持っていたこと、等のどこか運命を勘違いさせる複数の共通点という要素も影響していたと思う。

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そして私たちは、電話やメッセージをやり取りする仲となり、知り合って時短くして実際に会う約束をした。
彼からは、出会い厨やヤリ目といった種類の匂いはせず、どこか受け身で奥手な反応が寧ろ私に強い興味をそそらせた。
時間が経つにつれ、私は彼とのやり取りの中に、恋愛としての興奮を感じるようになっていった。

だが実際に会った彼に、良い意味でも悪い意味でも興奮を覚えることは無かった。
彼は、ネガティブが過ぎていた。
だが、その姿は、自分の一部を見ているようでもあり、彼を通して自分という人間が如何に非魅力的であるかを気付かされることとなった。
まさに「類は友を呼ぶ」「同じ穴のむじな」。
自分が出会うことが出来る人間は、自分と同じ波長や精神レベルの人間だけ、という話を聞いたことがあった。
沈みきった鬱状態の私と繋がったのは、私と同じく荒みきった死にかけの彼だった。
私たちは見事に引き寄せられていた。これぞ、引き寄せの法則……。
彼と時間を過ごすことは、次第に私の体力を消耗させ、話を聞いているだけで気が滅入るようになってしまった。私たちは傷の舐め合いをしているようだった。

このままではいけない。彼と縁を切らなくては、自分がダメになってしまう、そう感じた。
それから私は、彼と連絡を取ることを止め、SNSからも距離を置いた。
今の精神状態の私に、SNSを繋いだ所で引き合うことが出来る人間がどんな人になるのかは、この件を通して容易に想像できた。
自分の精神状態が良くなったらSNSを再開しよう、そう決断した数年前……。

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今、私はSNSを再開している。
そして、繋がることが出来る人の種類は以前とは全く変わった。
恋愛に関してもマッチングアプリ、街コン、結婚相談所、合コン、ナンパなど、自分の出す波長が全てなのだ、と日々強く感じるようになった。

SNSとネガティブとの相性が最悪だと知る私は、SNSをポジティブな時だけ使い、ネガティブな時には避けている。
中毒性の高いSNS。私はSNSと、楽しいことだけしていたい。