28歳になる今年。今年は私にとってある意味2度目の節目となる。
20年前、小学2年生のときに地元にある合唱団の門をたたいた。酸いも甘いも経験し、気づいたら10年近くその合唱団にいた。

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時を同じくして、高校入学と同時にコーラス部の門を叩き、主力メンバーの歳となる高校2年のときには女声低音パートのアルトパートでみんなを引っ張るリーダーを務めた。
小学校のときから合唱に親しんできた身だから、一音一音に対する拘りがとても強く、半音でもズレたと感じると厳しく指摘していたことから、よく「加須野は厳しすぎる!」だとか、「もっとみんなと合わせて」なんて、よく怒られるようなある種の問題児だったと、昔のことを思い出すと苦笑いになる。

そんな私も大学受験のために2012年、合唱から離れた。これが私にとって1つ目の節目だ。
あれだけ没頭していたものを受験を理由にとは言え、離れることになったのだから、離れて間もない頃は「合唱ロス」になっていた。とにかく今までやってきた日本語楽曲でもラテン語楽曲でもハンガリー語楽曲でもなんでもいいから、合唱曲を誰かとみんなで歌いたいと思っていた。
でも大学が決まり、高校も卒業してすぐにあった、学生として最後の定期演奏会で後輩と一緒に歌う「春に」と、歌唱前に後輩からのサプライズで涙しながら歌った「虹」を歌うその日がくるまでには、ある程度合唱ロスも癒えていたと思う。後輩と2曲歌ったときだけ、虹の歌唱前にサプライズに驚き号泣してしまったので、少し合唱ロスが復活してしまったが……(笑)。

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定期演奏会の後、無事に大学へ進んだ私は、今まで経験してきたスタイルの合唱を大学内でできないということを知り、心機一転、武道の世界に足を踏み入れ、大学4年まではその世界で生きていたから、完全に合唱の世界から離れてしまった。
そして今年、合唱の世界から離れて丁度10年が経つ。今年が2度目の節目としたのはそういう理由があったからだ。
もしかしたら、2002年、忘れもしない小学2年のときのことを1つ目の節目とするなら、今年は2つ目でなく3つ目になるのかもしれないが。

やはり10年、合唱としての歌と向き合っていないと、発声の仕方が変わったな、と感じるときもあるし、何より、長く音を伸ばすフレーズ(ロングトーン)が昔よりも出来なくなってしまった自分がいて、ショックを隠しきれなかった。「昔はもっとロングトーン出せたのに!ついに私も発声衰えてしまったか……」と。
2020年からのコロナ禍で、合唱など飛沫感染リスクがある種目に関しては一定の規制がかかってしまい、もう一度合唱を始めようとしてもなかなか入りたい合唱団を探すことが難しくなってしまったが、いつか、病気などで私が本当に歌えなくなってしまう前に、もう一度合唱の世界に足を踏み入れ直したいなと思う。

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私にとって合唱は、離れてから気づいたけれど、「私の身体の一部」であり、「なくてはならないもの」「私を語るうえで必要不可欠なもの」だった。
合唱の世界から10年。身体の一部ともいえる合唱にいつか私はリベンジしたい。そして小学校から高校までずっと合唱漬けだったときに叶えることができなかったことを叶えたい。
それは、全国の合唱コンクールに埼玉県及び関東甲信越代表として出場すること、そしてその全国コンクールで金賞を受賞することだ。

昔の合唱団時代に出たコンクールで金賞は何度か頂いたことはあるけれど、県内止まりの部門での話だったし、関東甲信越ブロック大会への切符がかかっている大会では合唱団時代でも、高校時代でも、箸にも棒にも引っかからない状態だった。
だから、昔よりも難しいし厳しい条件下での挑戦であるということは百も千も承知のうえでチャレンジをしてみたい。

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このリベンジは30歳を過ぎてからになるのか、はたまた40歳以降になってからになるのかは未知数だが、「やらない後悔よりやる後悔」という言葉があるくらいだから、必ず実現させたい。
そのためにはいくつもの壁や課題が目の前に立ちはだかっているが、1つ1つ着実にクリアして、実現させられるように努めたい。