あの夜があったから、私は今も呼吸することができる。

当時高校生だった私は、とある合唱団に所属していた。
そこは知る人ぞ知る名門の児童合唱団で、多くの素晴らしい経験をさせてもらった。

練習も規律も厳しく、人間関係に揉まれ、それはまるで仕事のよう

だが名門であるが故に、練習や規律も厳しかった。
昼間は学校で授業を受け、夜はそのまま歌のレッスンへ。休日には地方公演での遠征やレコーディングなどに参加し、常にハイレベルな技術や態度を求められていた。
一度、学校の友人から「お前、それもう習い事じゃないよ。仕事だよ」と言われたほどである。
しかも歌を練習するだけでなく、その他の細々とした作業や人間関係にも気を配らねばならなかったので、精神的にも消耗が激しかった。
目上の人からは「今度の公演で使う曲紹介文、明日までに書いてきて。五十曲分ね」と言われ、後輩からは「先輩、明日休みます」のメッセージ。
例えるなら、あの頃はまるで会社の中間管理職のような立場で、上下関係に揉まれながら四苦八苦するのが常だった。
十五、六という青春真っ只中の時期に、親のパソコンを借りて深夜まで必死にキーボードを叩き、そのまま朝を迎えて学校へ行く。
そんな滅茶苦茶な生活に嫌気がさし、盗んだバイクで走り出す……なんてトラブルは起こさなかったが、残念ながら肌の方はトラブル続きで荒れ放題になってしまった。
だが、これが当時の私にとって「普通」だったのである。
不平不満を押し殺し、課せられた作業をロボットのように淡々とこなす。
そして自分の感情たちがストレスで悲鳴を上げそうになっても、私はその口を掌で塞ぎ、じわじわと息の根を止めるようになっていた。それが正しいと、思い込んでいたのである。

仕事帰りの人々と友人の前で、突然堰を切ったように溢れ出る感情と涙

そして忘れもしない、ある火曜日の夜。
稽古が終わり、いつものように団の指導者から無理難題を言われた私は、ぽつりぽつりと同期の友人に愚痴をこぼしながら歩いていた。
時に静かに、時に相槌を打ちながら、彼女は私の言葉をじっくり聞いてくれた。
出口の見えない悩みを吐露し続けている内に、最寄りの駅に到着する。
友人は電車が逆方向なので、あと少しで彼女とはお別れだ。

(…ああ、このまま彼女と離れたくない)
そう思った瞬間、咄嗟に私の足が止まる。

そしてどういう訳だか、瞳からぽろりと涙がこぼれ落ちたのだ。
友人の前で。大勢の仕事帰りの人々でごった返す駅前で。

もう嫌だ。もう合唱団なんか辞めたい。でも歌い続けたい。辞めたくない。
今まで自分の手で殺し続けてきた感情たちが、突然堰を切ったように溢れ出てしまったのだ。

いま思い返せば、一緒にいた友人はあの時かなり困惑したに違いない。
だが彼女は黙って寄り添い、私の支離滅裂な言葉に耳を傾けてくれた。
そんな友人の優しさに私はつい甘えてしまい、号泣しながら目の前にいる彼女の肩にもたれかかった。
そして家路を急ぐ人々が通り過ぎるなか、私は大泣きしたのだ。
文字通り、友の肩を借りて。
傍から見れば、まるでドラマのワンシーンのようだっただろう。
彼女は黙って私の身体に手を回し、ゆっくりと背中をさすってくれる。
その掌の温もりに私は堪らなくなり、わんわん泣きじゃくった。
心の中で殺し続けてきた感情たちが息を吹き返し、彼女の制服を濡らし続ける。

火曜夜九時、見知らぬ人々が行き交う駅前で、私はようやく「私」として再び息をすることが出来たのだ。

ようやく落ち着いた私を見て、友人が口にした優しい嘘

まるで時が止まったかのように、私たちは暫くの間その場にじっと佇んでいた。
なんとか気持ちが落ち着くと、私は謝りながら友人から離れた。
それに対して彼女は一言、「大丈夫」と微笑んだ。
なんて優しい嘘なのだろう。
駅前の往来の中、人々の奇異の目に晒されながら、涙で制服をびしょ濡れにされたのだ。
全く大丈夫な筈がない。
互いの身体が離れた瞬間、友人の服の肩部分に、私の涙の跡が大きく残っているのが見えた。
濡れて色が濃くなった布地を目にした私は、反射的にもう一度彼女に謝った。

そのまま私たちは、何事もなかったかのように電車に乗って帰宅した。
だがあの日、あの夜、あの場所で起きたことを、私は一生忘れないだろう。
私が感情を殺すのをやめ、折り合いをつけながら生きられるようになったのは、あの夜の友の温もりのおかげだ。
あの夜があったから、私は私として自由に呼吸し、今も生き続けている。