夏休みが明けた、九月十四日のことだった。
「お前は自己愛が強すぎる」
十三歳。担任から言われたこの言葉を忘れられず、頭の片隅に追いやることもできず、引きずりながら二十歳になった。
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当時の私は自己愛という言葉の意味を知らなかったが、担任の声色と雰囲気とで「良い意味では言っていないな」ということだけがわかった。
この担任というのは五十代になりたての自称熱血教師だった。クラスで問題が発生すれば職員室にこもり、入学初日から威圧的な態度で接し、大声で怒鳴り、管理職に叱られた苛立ちをそのまま生徒にぶつけてくる。私たちが最も恐れる教師だった。
その教師が担任をするクラスで、私は合唱コンクールの伴奏者になった。
この校内合唱コンクールのために、クラス分けの時点でピアノが弾ける生徒を各クラスに割り振っているらしい。私はピアノを小学校一年生から五年間習っていたこともあり、小学校の卒業式等で伴奏を経験していた。だから、「弾ける」と判断されてこのクラスに配置されたようだった。しかし、私の技量は教師の期待をはるかに下回っていたのである。
担任は音楽教師ではなく、譜面すら読めないが一番を取ることに燃えていた。学年ごとに金賞、銀賞が選ばれる。最低でも金賞。それ以外ありえない。
身体を揺らして歌わせてみたり、ネットで拾ってきた独特な練習を次々に取り組ませたりした。それほど熱くなっていたのに、士気も上がっているのに、私のピアノは一向に上達しない。止まることはしなかったものの、音をぼろぼろこぼし、片手だけになってしまったりする。
もちろん練習はしていた。とはいえ、部活と塾とテスト勉強の合間に行うには限界があった。
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放課後、呼び出されて叱られた。お前が足を引っ張っている、ということをいろいろな言葉に置き換えて、ずいぶん長く話していた。
私は適度に相槌を打ちながらも担任の話に納得できなかった。教師の都合で私をこのクラスにしたのに。私以外に任せる人がいないと押し付けられたのに。できなければ責められるなんておかしいと思った。私は最初からできるなんて言っていないのだ。
おそらくそんな考えが顔に出ていたに違いない。担任は大げさな溜息をひとつ吐くと、私に向き直り言い放った。
「お前は自己愛が強すぎる」
説教はこの言葉で締めくくられた。ただ、合唱コンクール前に言われた「自己愛」に関する言葉だけが残った。
“自己愛 強い”で検索すると「自分が正しいと思っている」「自分に甘い」「協調性がない」「他人の気持ちがわからない」と出てくる。多感な時期にその言葉の意味を知って傷つかないわけがなかった。
指揮と若干ずれたものの、本番では弾ききることができた。結局私のクラスは銀賞すら取れずに終わった。
合唱が悪かったのか、伴奏が悪かったのかなんて愚問だ。中学一年生の合唱コンクールの結果なんてもう誰も覚えていないだろう。ちなみにこの教師が受け持ったクラスは、一度も入賞をしていない(毎年クラス替えがあり私の担任だったのはこのときだけ)。
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どこへ行っても、何年たってもあの場面がフラッシュバックする。何度も上書きされてどうやっても消すことができなくなってしまった。そのたびに「私は自己愛が強い、どうしようもない人間なんだ」と思うようになった。
誰も覚えていないような合唱コンクールの結果を思って、やるせなさに泣いたこともある。あまりの辛さに楽譜は破り捨ててしまった。
仮に自己愛が強かったとして、ピアノが上達しないこととどんな関係があったというのか。
おそらく、ない。
言い訳がましかったのは否めないが、練習を怠っていたわけではないからだ。
「言葉はナイフにも、砂漠での一滴にもなる」
だから、言葉を大事にしろと。担任は私たちへそう何度も言い聞かせていた。
言葉の重みを語るくせに、ああいうことを言えてしまう愚かさ。言ったことも、もしかしたら私の名前すら覚えていないかもしれない。それでも私が忘れることは無い。その事実はなくならない。今なお私を苦しめているそれは、まるで呪いのようだ。
私は教師を目指している。社会人になって図らずとも担任と再会してしまったら、その時はうまく笑えないかもしれない。