インスタグラムで複数のアカウントを持っている。リア友用アカウントと読書用アカウントだ。

リア友用は高校生の時に作った。その時から、ごはんの画像や美術館に行ったことなどを投稿している。写真と2、3個ハッシュタグをつけるだけだ。極めて地味なものである。
読書用アカウントは、会社に勤め始めてから作った。2020年の春に新卒で入社した会社は地元から離れていて、共通項のある誰かとゆるくつながりたかった。
「#読書好きな人とつながりたい。」「#読書。」というハッシュタグ。アップする写真もこだわって撮った。読書の感想も丁寧に書いた。満足だった。いいねがついた。嬉しくなった。
だが現在、私の読書アカウントは停止している。今年の3月25日で更新が止まっている。

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「なんだか疲れてしまって」
一言でいえばこうだ。どこに疲れたのか、どうして疲れたのか。
インスタグラムを見ていると、上位に挙がっているのは、自己啓発やこの本の内容をざっとまとめるとこんな感じです……等々。なんか思ってたのと違う。確かに有用ではあるけれど、でも違う。私が求めていたのは現実逃避としての読書であった。
私はエッセイ本を読み、フェミニズムに関する本を読み、絵画史の本を読んだ。感想を書いた。すぐいいねがついた。その間も、インスタグラムには自己啓発、要約、知識……もちろんそれ以外も流れてくるが、目についてしまう。
その情報を得ることで豊かになる人がいるのは当然わかっているのだ。わかっていても、だ。見なければいいのに、だめなものはだめであった。

果たして私の嬉しい気持ちはどこかに行ってしまった。現実逃避としての読書をし、感想を書くのに選んだ場には現実がそれなりに溢れていた。
つながりを求めて、ハッシュタグをつけて、いいねがついて嬉しかった。それだけでは満足できなかった。SNS上で誰ともわからない、自分と違うジャンルを読む人に嫌な気持ちを抱く。現実がちらつく。これでは読書は楽しめないし、良い気分で感想を書けない。自分に嫌気がさす。そして私の読書アカウントは停止した。

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SNSを上手に使う人は、ミュートやブロックをきちんと使えるのだろうし、情報の取捨選択がしっかりできるのだろうなと思う。私はあまりうまく使えないから、読書アカウントから離れることにした。
離れた当初は、アカウントを消して、個人的なブログで感想を書こうかとも思った。ただ、最初の動機が趣味でつながることだったため、それが叶わないのはいい影響がないように思い、やめた。結局、インスタグラムのアカウントは残して、良い気分で感想を書けるようになったらまた戻ろうと思っている。

SNSにはたくさんの人がいて、趣味となればより簡単につながれる。インスタグラムでは、画像と共に感想を発信したことで趣味が同じ方とつながれた。
良いことだ。それと同時に、合わないものを目にする機会が増え、自分の気持ちが削れていってしまうこともある。
その時は、離れてしまうのも選択肢だ。SNSは居場所を残したまま離れることができる。「#読書好きな人とつながりたい。」「#読書。」でまた誰かとつながれる。