私はスマホの電卓機能を開きながら、パソコンと睨めっこをしている。
画面には、今しがた10月分を書き加えた4月からの出費とバイトの収入を記録した表と、家族からの仕送りや、誕生日にもらったお小遣いを記録した表の2つが映し出されている。

知りたいことの1つ目を計算する。家計は、黒字だ。プラスの額に、初めての一人暮らしにしてはまあまあかと満足する。
次は4月からの収入の合計額だ。今の時点で約85万円。バイトに追われているわけでもないのに7ヶ月でこの額になったのは、時給の良いバイトをしていることに加え、実家の自営業からの収入もあるからだ。
とは言っても大した仕事はしていない。小さな会社の社長の娘というだけで、私は幾許かを毎月もらっている。

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100万円まであと15万円。私は年間の収入がそれより多くなってはいけない。扶養家族から外れて、払う税金やなんやらが増えてしまうからだそうだ。
高い学費と家賃を負担してもらっているから、せめて生活費は自分でやりくりしたい。学年が上がるにつれてバイトをするのは難しくなるだろうから、今のうちに貯金をしておきたい。バイト漬けの毎日にすれば、このやりきれない申し訳なさも紛れるかもしれない。
そう思っているのに、100万の壁を超える勇気も資格も、今の私に欠片もないことは分かりきっている。

たった70万では、私は自分のしたいことができない。自営業からの収入は私が生まれた時に母が開設した口座に振り込まれるから、実質私が稼ぐのは年間約70万円なのだ。
自分の生活と勉強、それに友達と遊んだり、好きなことをしたりすること。大学生のうちにしたいと思うことが私にはたくさんある。お金のせいにして諦めてはいけない。全て自分でなんとかしてやっと私の自尊心は満たされる。

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経済的にできる範囲で自立したい。そう強く思っているのに、同時に扶養家族であることを私は必死に守っている。
「お金に困ったら助けてあげるから」
帰省すると毎回言ってくる祖母の言葉が、さらに私の心の柔らかいところを傷つけてくる。優しさという武器が、私を傷つける。
私はまだ、彼女にとって助けて“あげ”なければならない人なのか。私はまだ、助けて“もら”わなければならない人なのか。
この7ヶ月の間、立派に一人で暮らしてきたつもりなのに、自分のやりたいことを諦めずにこれたのに、実家に帰る度私は苦しくなる。もう、言わないでと言うと、祖母は私の気持ちになんて全く気が付かずに言うのだ。
「だって、こっちから言わんと、なつめは自分から頼れる性格してないでしょ」
その通りだ。でも、祖母の愛情やお節介な性格も私はよく知っているのだ。本当に困ったら頼れるのは家族だってことくらい、私は分かるのだ。分かるから苦しいのだ。

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こんなことで苦しむのは私がまだ子どもである証拠なのだろう。こんなに苦しいのは、大人になりきれず、背伸びばかりしているからなのだろう。だけど私にはこれしかできない。祖母の言うように、簡単に家族に頼れるような、かわいい性格を私はしていない。

だから2022年、残りの数ヶ月、私は収入を考えながらバイトの予定を入れるのだ。収入がギリギリ100万円になるよう稼ぐのが、子どもの私が自分の心を守るためにできる最大限のあがきである。