仕事って案外、自分の思い込み次第じゃない?
今年度が始まり約7ヶ月、去年より息がしやすいのは、きっと考え方を変えたおかげだ。

仕事を純粋に好きな人間なんて、この世にいるのだろうか?
もしそんな人がいるならば、ぜひ教えてほしい。
そう思えるほどに、どんなに好きなものを仕事にしていても負の感情が全くないことはあり得ないだろう、というのが私の持論だ。

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私はありがたいことに、自分が望んで手に入れた環境で仕事をしている。
それなのにも関わらず、そんな私でさえ、今日は仕事行きたくない、なんて思う日がある。
そんな日は大抵楽しくない仕事がある日だ。
入社した頃は仕事の為に生きたい!なんて思っていた頃もあったなあと、デスクに座り懐かしむ。
憧れが現実になるということは、負の側面も見るということ。
悔しい思いをする度に、そこまでして仕事にのめり込む必要はあるのかと自問した。
最終的に仕事の為に生きたいという感情は、私には芽生えてこなくなった。
3年目、どのようなことがあっても仕事命!というスタンスを辞めることにした。

ではどんなスタンスに切り替えたかというと、どんなクソみたいな仕事にも価値を見出して楽しく仕事しようというスタンスだ。
私の根本的な考えとして、「仕事命」を辞めるイコール手抜きをするわけではない。
私は定められた仕事をきちんとこなすことは、お金をいただいている以上当然だと思う。

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これまではなんでも全力に、休みの日も仕事のことを考えてるし、どんな仕事も200%の気持ちで応えていきたいと思っていた。
しかしそれでは自分がパンクしてしまうと思った。
そこまで自分を犠牲にする必要はないと思った。
じゃあ楽しいと思える仕事はもちろん全力でやればいいし、楽しくない仕事は求められているレベルをこなすだけにしよう。
それでも楽しくない仕事をするのは億劫である。
じゃあその仕事は何のためにするのかを自分で考え、意味のある仕事なのだと思うことで自分を騙していこうと思うことにした。

「今年は睡蓮さんに、このプロジェクトのリーダーとして頑張ってもらおうと思う」
「これ、ですか?」
「3年目にはかなりヘビーだと思うけど、睡蓮さんならできると思う、どう?」
今年の4月、その一言で任された仕事は毎年持ち回りで行うプロジェクトで、一番重量が重く、かつ上が重要だとしているプロジェクトの一つだ。
昨年までの全力スタンスが仇となったのだろう。
正直、このプロジェクトをやるのは気が引けた。
昨年までの様子を見ていても、重量が重く上が需要視している割に一般職の反応が良くなかったからだ。かくいう私も意味ないんじゃない?と思っていた人間だった。
私が了承するための形式的な流れに則ってプロジェクトを引き受けた。

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当時は仕事命スタンス継続中だったため、初めのうちは気合で事を乗り越えようとした。
しかし、どうもこの山を乗り越えられない。なぜなら価値がないと思っているから。
このプロジェクトに価値を見出せなくなっていた私は、完全に楽しくなくなっていた。
また明日もこの仕事をすると思うと、そんな精神状態だった私は夢の中でも仕事をするほどにそのことで頭がいっぱいだった。

「このままじゃ病むんですけど!」
本能でそう感じとった私は一旦その仕事を離れて、別の仕事をしながらその仕事への打開策を考えた。そして行き着いたのが、この仕事に価値を見出そうということだった。

毎年行われていて、かつ上がなぜ重要視するのか、このプロジェクトを通して私たちはどうなっていくべきなのかを遠くからじっと考え、そしてその答えが出た時、再びその仕事へと手を伸ばした。
するとどうだろう、この仕事に価値があると思えると、その仕事の捌き方も自ずと見えてきた。そしてなんと、私が担当して初めてと言っていい程に、一般職の人々の反応が良かったのだ。

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どんなに力があっても、その仕事が好きでも全部が楽しいわけじゃない。
そんな時は、一歩引いてみてもいいし、この仕事の価値は何だろう?と考えてみるのはどうだろうか。案外自分の思い込みで仕事はクソにも楽しくもなる。
ちなみに、手を抜くわけではないので周囲の評判は良く、私的おすすめだと、こそっと付け加えておく。