いつの間にか11月になってしまった。
学業、就活、アルバイト、大学院受験……。
今年はやることが沢山あって、毎日がてんやわんやしていた。
だから、2022年のラストスパートが迫ってきていることに、全く気が付かなかった。
もうすぐ2023年がやってくるというのに、今までするべきことに追われてきた私は充電が切れかかっている。
やるべきことは目の前にあるのだが。

◎          ◎

でも、私は今年のラストスパートをのんびり過ごそうと思う。
だってこれだけ色々と乗り越えて来たのだから、少しぐらい休みながら進んでいくのもいいはずだ。自分の体をいたわりながら着実に物事を進めていけばいい。
あと今の時期は食欲の秋だ。
美味しいものをたくさん食べて、美しい自然と向き合って、家でのんびり過ごすのが私の理想である。
寝溜めするもよし。ぐ〜たらするもよし。映画やドラマをイッキ見するもよし!
全てよしとしよう!!!オールオーケーだ。
今を楽しまずして、いつ楽しむことができるのだろうか?

私はこのように今年のラストスパートを自分のペースでのんびりとゆったりと進んでいこうと思っているが、周りを見るとそうでもないようだ。
年末が近づくにつれて私の両親は仕事の量が多くなり、家に帰る時間が遅くなる。
私の両親だけではない。この間、23時すぎの電車に乗ったが多くのサラリーマンがうつらうつらしながら電車の席に座っていた。
あのサラリーマンの方々は年末になったら仕事の量が多すぎて、ひょっとしたら家に帰ることができないのではないか?
私は懸命に働く人々を見ると不安になってしまう。
彼らの2022年のラストスパートは、どのような結末を迎えるのだろう。
彼らにとっての2022年のラストスパートは、どのような意味を持っているのだろうか?

◎          ◎

私はまだ学生なので「2022年のラストスパート」を考えてみたときに真っ先に学業が思い浮かぶ。
「中間レポートの提出をしないと!」とか「ゼミ発表のレジュメを作らないと!」とか、そんなことばかり。
これはこれで学業を本業(?)とする学生にとってのラストスパートにはなりそうなのだが、働く人々のラストスパートとは訳が違う。

大学では毎日毎日今日やるべきことを課題として課せられることはほぼないし、自分のやりたいことを選択することができる。
だから、自分なりのラストスパートを計画することができる。
しかし、仕事では多くのことを熟す必要があり、期限としっかりと定められている。会社がラストスパートを決めることができるが、仕事をしている働き手がラストスパートを決めることはできない。
個人によってラストスパートが割り振られるのではなく、働き手全体のラストスパートが統一されているからだ。
果たして、社会で働く人々はどうやってラストスパートを乗り越えているのだろうか。

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私もいつか社会に出て働く日がやってくるだろう。でもその時が来たら、自分が持つオリジナルのラストスパート法ではなく、社会で統一されたラストスパート法に飲まれていくのだろうか。
それはいつか自分自身を追い込むことになるのではないか?

「それはしょうがない。社会で生きるとはそういうことだ」という人もいるかもしれない。
でも、本当にそれでいいのだろうか。
様々なことが制約される社会で何かを考えることはかえって不都合なことがあるかもしれない。
でも自分が自分らしくいられるために、私は何かを考えずにはいられないのだ。