最悪である。
「2022年のラストスパート」。この類のフレーズを3日前、いや、あれは1週間前にもファッション誌で目にした。
今年もあと3ヶ月というカウントダウンを、社会人なのだから、少しは重く受け止めるべきだ。学生の頃は最低限すべきことをカリキュラムとして学校側が計画的に進めてくれていた。今は違う。自ら年間のカリキュラムを組み、自ら進めていかねばならない。

そう考えると、私はこの1年の過ごし方を振り返ってみて、カリキュラム通りに事を運べたかというと、思い当たる節が無い。特にこの1年は無い。最悪だ。
まあ、カリキュラム云々の前に、会社からこの資格を取れだとか、この知識や能力を身につけておけだとかの指令が下っておらず、私生活においても特段、期限付きかつ明白なゴールがない私には最低限すべきことなんざ、日々の生活と月の営業目標達成くらいだ。

◎          ◎

そんな私でも年始には必ず1年の目標を3つ4つ立て、スケジュール帳に記す。次にそのページが開かれるのは年末で、フィードバックを追記する。
一見、計画的に生きているように見えるだろうが、私はその目標をすっかり忘れているわけで、タイムカプセルを掘り起こしたような気持ちで眺めては、まるで「動物系女子診断チャート」に答えるようなテンションでYES/NOのフィードバックをしているに過ぎないのだ。

意識しながら行動してこその目標だ。
目標は常に見えるところに掲げておけと、10月から着任した新部長も言っていたじゃないか。
折角だし、今年も残すところあと3ヶ月の今月、一足先に今年の目標を思い出そう。本来ならばそれが正解だが……。

◎          ◎

年始ぶりに再会するあのページには、やはり2022年の目標が4つ記されていた。
冒頭でも触れたが、私には期限付きかつ明白なゴールがないので、「マイペースに楽しく過ごす」のような曖昧な目標が並ぶ。

「言葉を信じすぎない。縛られすぎない」
最も刺さった目標だが、ああ、これはなんともあの時の私らしい。2021年の1年間と2022年の初め、行動が伴わない口先だけの甘い言葉に振り回されて、待ち続けて、裏切られたのだ。あ、裏切るなんて言い方が良くないね。私が勝手に信じただけだ。彼を、というより、人間から発せられる言葉の重さを信じた。
発したからにはその通りに行動するように努めよう。その覚悟のもと、言葉は発せられているのだと信じていた。全ての言葉がそうではないにしろ……。
「言葉は枯葉だ」って歌詞、彼と出会う前から知っていたのに、私は一体どういうつもりでその歌を歌っていたのだろう。

振り返ってみると、めでたく私は年始に掲げた4つの目標通りに過ごせた1年だったと思う。じゃあ、まあ、いいのかな……。
うーん……。
まだどこかで腹落ちをしていないのは、周りの友達が結婚、転職、資格取得や海外留学をした1年だったからだろう。
私は私の目標を達成した。しかし、そもそもの目標設定がぬるい。この1年、私は何も成し遂げていないし何も得ていない気がする。

◎          ◎

私達は、1年に1回やって来る誕生日に、自動的に年齢が1つ上がる。だけど、考え方や性格が自動的に上がるのを期待していてはいけない。考えて自分で意識していかないと成長はしない。
そのために私は昨年の失敗をもとに、1年の目標を立て、「こういう考え方で生きたい」を意識するようにしていた。しかし、2022年のラストスパートに差し掛かった今、2022年に納得できていない自分がいるのは、全てが自身の考え方に焦点を当てた目標だったからではないか。「資格を取る」「友達を増やす」など、行動に焦点を当てた目標を1つでも加えなければ。

この3ヶ月で私に何ができるだろうか。
大好きな趣味でありちょっとした仕事にしたいと思っているイラスト関係のことで設定をしよう。
もしかしたら、2023年に持ち越してしまうかもしれない。それでも、行動に焦点を当てた目標に向けて、今から走り出したい。この3ヶ月は、2022年のラストスパートであり、2023年に向けての助走期間なのである。