最初は高校入試の面接のために、母と相談してとりあえず決めた将来の夢だった。世間体がいいし、何より面接では目標を持っている人の方が優位に立つということは私もわかっていた。

母はもしかしたらそうなることを望んでいたのかもしれない。叶えもしないであろう夢が、まさか10年後、本当に実現されていると誰が想像しただろうか。
やはり嘘でも口に出すことで現実になってしまうものである。

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「私は将来、中学校の国語の先生になりたいです」
高校入試の面接練習も何度しただろう。
そして何度理由を求められただろう。
そして普段の学校生活でも、先生たちから、
「まさか教員になりたいだなんて、びっくりしたよ」
「いつか一緒に働くかもね」
と言われる。
そうなると自然に教員になることは素敵なことなのだと刷り込まれていく。今思えばそういうことなのだと思うが、あの頃の私はまるで教員を目指す自分に誇りを持っていたようだったと思う。

高校に入っても何となく「私は教員になるのだ」という気持ちで過ごし、成績は下から数えた方が早かったが、大学も教員免許の取れる大学を目指した。
自分は教員になるものだと思っていたから、教員を目指す人たちのゼミを探し、所属することにした。そこで話を聞くたび、そのゼミの先輩たちの話を聞くたび、教員という仕事を調べれば調べるほど、勉強すればするほど、実習に参加すればするほど、ブラックな仕事だと思うが、おもしろさが倍増した。

大学4年生で受けた教員採用試験までは、本当にそれだけだった。
「教員を目指す自分はすごい」「おもしろそう」。今思えばなんと単純でばかげた理由だと少し笑ってしまう。

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実際教員になった今、そんな理由で決めた自分をあほだと思っている。
そんな甘いものじゃない。定時になんて上がれない、保護者から理不尽なことを言われ、先輩教員に皮肉を言われる。子どもに「死ね」と言われることもある。辛いことばかりだ。
それでも私はアホな理由だったけれど、私は中学校の教員以外の仕事を選ぼうという気持ちにはならない。むしろ、アホな理由で決めた自分をほめたたえたいくらい。

もちろん、公務員という立場を自分の努力で獲得してきたという誇りもある。しかし、それ以上に、人生で一番揺らぐ時期である中学生という発達段階に、自分が関われることが一番うれしいと思う。

中学生というものは、一番情緒が揺らぐ。周りの目を気にするし、大人の目も気にする。「自分はこういう人間なんだ」とアイデンティティを確立する最中。その中で悩み苦しむ子どもたちに寄り添える奇跡。そして変容していく子供たちを間近で見れるおもしろさ。もちろんガハハと笑うようなおもしろさではなくて、趣深さを感じさせるおもしろさだ。

もちろんいい方向にばかり変わっていくものではないが、その方法を子どもの実態によって考え、関わっていくことの難しさにおもしろさを感じるのだ。

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うまくいかないときは辛いし、悲しいし、涙も出る。でも、自分とめぐり逢って、私と関わることで、なにかその子の人生にプラスであってほしいと願う。そのプラスが形として現れたとき、「この仕事をしていてよかった」と心から思う。「やりがい」とはそういうことなのだと思う。

理由はなんであれ、教員という夢を抱いてここまでに至る。今の私という人間を作ったのは教員という夢である。
もちろん教員としてじゃない時間も大切だと思う。距離をとる時間も大切だと思う。でも、私という人間は、教員という仕事を目指してこそ作られ、教員という仕事をしてこそ作られている。
私の仕事は、私の人生を作っている。距離で測れるものじゃない、そんな気がする。