四年前。看護学校三年生の夏。就職活動をしていた。大本命の病院の面接試験で、色々な質問を受けた。
「どんな看護師さんになりたいですか?」
「学生時代、一番がんばったことは何ですか?」
面接はスムーズに進んだ。担任の先生のスパルタ指導の賜物か、それなりに手応えを感じられた。でも、最後の質問は予想外だった。
「英検準一級をお持ちとのことですが、英語ができて得をしたことはありますか?」
はて。得。得……?なんて答えたらいい?わたしの気持ちは?
「得や損を、考えたことがないくらい、好きです」
ほう、と面接官である副院長が目を丸くして、少し笑った。
「……でも、そうですね。入職後、英語を使われる患者さまが来院されましたら、わずかなりとも力になれることがあるかと思います。コミュニケーションを取る手段が増えたという意味で、得をしています」
看護師としての面接試験で、よもや英語の話題が出るとは思うまい。とっさにこんな回答をしたわたしって、よっぽど英語が好きなんだな。
試験は和やかに終了し、翌年の春、わたしは無事に病棟へ就職した。
◎ ◎
英語は趣味でいい。通訳や翻訳家なんて狭き門。高校の英語教諭や塾講師だって、採用されるのは難しいと聞く。
看護師は、この世から病気がなくならない限り、需要のある仕事。堅実で、女性の自立にどんと来い!な仕事。誰もが好きなことを仕事にできるとは限らない。英語を仕事に選ばなかったけど、看護師をしながらでも、勉強できる。意志の問題だ。意志さえあれば。そう思っていた。
ナース一年目は、覚えることが山のようにあった。
医師の検査の介助。病気の治療方法とその看護の勉強。採血や点滴を刺す実技練習。委員会に病棟会、勉強会。仕事を時間内に要領よく終えられないのは自分の責任だが、夕方に帰れる日なんて滅多にない状況で常に課題を抱えていた。帰宅するとどっと疲れて倒れるように眠る。そんな毎日だった。
二年働き、結婚を機に病院を退職してすぐに子どもを授かった。働いていないために、時間はたっぷりあった。大人ふたりの洗濯物なんてほんの少し。掃除だって家中ピカピカにしても、まだ午前中。時間があるのに、こんなにあるのに。勉強しようと思えなかった。
妊娠していて体が本調子じゃなかったから?たまに英語の参考書を開いて勉強しても、続かず、一日坊主だった。
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産後は当たり前だが勉強どころではなく、子どもを生かすのに精一杯。離れると泣くから、自分の食事やトイレも最低限にササッと済ませる。愛しているから、苦痛ではない。でもしんどかった。夫が子どもを見てくれる間は自由時間だけれど、とにかく寝たかった。起きていても、ぼーっとスマホでエンタメニュースを流し読みしたり、買い物メモを修正したり。全然生産的じゃなかった。
いまでこそ、育児中に勉強してる人なんていないと分かるが、自分がひどいなまけ者のような気がして、胸がザラリとした。
そして、ふと思った。あれ。看護学生の時は看護の勉強に必死だった。新人時代は仕事に追われていた。今は育児。赤ちゃん期を過ぎて再就職したら、また仕事。あれ。あれ。わたし、いつ勉強するの。
考えていたことは大当たりで、再就職すると、その職場の業務を覚えるのにいっぱいいっぱい。自分の時間は皆無。
でも、やっぱりまた働きはじめて良かった。終末期(余命が数ヶ月と診断された後の時期)の患者さんと関わるうちに、ジワジワと込み上げてくるものがあり、わたしの心に火がついた。
今しかないのに。いつかなんて、永遠に来ないのに。人生は今の連続で、今日が一番若い日で、なんでも今日始めないといけないのに。
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わたしは思い立った。時間は進んでいく。時間を生み出すことはできない。不可逆だ。だから捻出しなくちゃ。あらゆる時間を削りたい。鏡を見ると自分の長い髪が映り、
「美容院に行く、二時間が惜しい。その時間で勉強したい」
と、財布だけ持って急いで出かけ、髪を切った。
気に入っていた、ミルクティーベージュのロングヘア。毎日疲れていて染めなおしに行く元気がなく、根元がもう10cmも黒かったけど、そこから下は外国の子どものような色。それをガシガシ切ってもらい、見る見るうちにショートになった。そのままドラッグストアで髪色戻しを買って帰り、座敷わらしのような真っ黒に染めた。
翌日出勤したら、どうしたの?!イメチェン?と何度も声をかけられ、そのたび、子どもが引っ張って痛かったので、と笑って答えた。
わたしだけが知ってる。わたしだけの決意表明。
あらゆる時間を削って勉強時間を作る。時間は有限。いつかなんてもう言わない。お母さんでも、働いていても、また勉強したいんだ。今日から始めるんだ。