今年の4月、私はフリーターになった。
最大の理由は大学院へ進学するためだったが、雇用形態を変えて細々と働き続ける道を選択することもできた。しかし、完全に退職をすることにした。そしてアルバイトとして細々と生活をしている。

その決断をすることに勇気が必要だったか。――もちろん。
後悔はしているか。――7ヶ月経った今でも分からない。
ただ、その決断をした時、同年代の多くの友人から、「仕事辞めるの?いいなあ。私も辞めたいー」「自由でいいね。私はとてもじゃないけれど辞められないな」と何度も言われた。
1つの会社に終身雇用で居続けるよりも、何度も転職を重ねる時代になっていると肌身で感じている。それでも、正規雇用でないこと、キャリアを止めることへの逆風は強いと感じる。

確かに、正規雇用とそれ以外では生涯年収や退職後の年金も大きな差が出ることは、随分前より言われている。
ただ、それがキャリアを止めて海外に行く人や、夢を追い続けるために正規雇用を捨てる人に向けられた棘のある言葉に滲み出ている、そんな気がする。

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私の親友は、現在休職中である。1人目の子どもの臨月になるタイミングで休職となり、その間に2人目の子がお腹に宿った。そのまま産休・育休に入った。
そんな彼女とこの夏に会い、心の中を聞く機会があった。2人の子どもを器用にあやしながら、少し寂しそうな笑顔を私に向けながらこう言った。
「2人目は保育園に入れる予定なの。仕事に戻りたくて」
この申し訳なさそうで、後ろめたさをはらんでいる表情を前にも見たことがある。それは、教育現場で働いている時だった。
急遽、子どもが熱を出したために早退することになったとある先生が、翌日に同じ学年の先生一人ずつに謝罪をして回っていた。
私のところにも来て、「昨日はご迷惑をかけて、すみませんでした」と述べた。
私は堪らなくなり、「○○先生、そこは『すみません』ではなくて、『ありがとう』でいいんですよ」と伝えた。周囲の視線を感じたが、それ以上に、どうして彼は謝らなきゃいけないのだろうと本当に悲しかった。

みんな、キャリアを止めること、一瞬でもポーズすることに勇気が要らなかったって思っているのかな。子育てで早退や休みを取らざるを得ないことに謝罪が必要だと思っているのかな。
表面を掬うだけでは、「妊娠・子育てのため」「家庭事情の職場への持ち込み」と捉えてしまう。どうしてその文脈やビハインド・ストーリーを読み取ろうとしないのだろう。

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先日聞いた話がその疑問を深めてくれた。無人島に流れ着いた2人の男の話だ。
1人は米の入った袋を持っている。もう1人はたくさんの金の腕輪の入った袋を持っている。彼らの国だったら腕輪1つで米1袋以上の価値がつく。しかしここは無人島。米の袋を持っている男は言う。
「その腕輪全部と米1食分を交換してやってもいいぜ」
これを経済学的に考えれば、当然の「無人島での」市場価値になるのは分かる。ただ、そこだけに頷いて話を終了させては、またしても話の表面を掬い取っただけになる。

そもそも米の男の中に、そのトレードを提案してくるだけの余裕はどこにあるのだろう。そんなことをしていては、金の腕輪の男が「殴ってもいいから米を奪ってやる」と怒りでふつふつしているかもしれないことに気づけない。「新しい食糧を手に入れてもこいつには絶対分けてやらん」と決意をしているかもしれない。もしかしたら、「めちゃくちゃ美味しいご飯の炊き方知っているんだけどな」とも思っているかも。

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人は人を周縁化することが好きなように感じる。メインストリームに乗れていない人には厳しく、自己責任論を振りかざす。
「勤労は義務なのに」「早く大人になりなよ」
ただ、私の親友や、謝罪をして回っていたあの先生の気持ちを想像するのは、そんなに難しいのかな。
反応する側も、どんな思いをのせてそれぞれの言葉を述べているのだろう。
仕事は人生と密接に関わっている。つまり、誰かの仕事観について意見を述べると言うことは、その人の生き方に意見を述べるということ。
ただ勤務形態に多様性があるだけではなく、その後ろにも様々なストーリーがあることを忘れないでいきたい。