ずっと気負い過ぎていたのかもしれない。
「前例がありません」と言われたあの日から。
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就職活動を始めるとき、大学のキャリアセンターに相談に行った。私の夢はずっと新聞社のジャーナリスト。でも双極性障害Ⅰ型という精神疾患を抱えている私は、障害者雇用での就活も考えていた。
夢か、障害者としての現実か。アドバイスを求めて縋るような思いでキャリアセンターに行った。
そして言われた。「前例がありません」と。「当校では障害をオープンにして就活した前例がなく、アドバイスしかねる」と、担当者は申し訳なさそうだった。そして、参考程度にと教えてくれたのは、情弱の私でも知っていた障害者向け就活サイトだけだった。
結局、障害者雇用枠で内定をもらい入社したのは、都内の一般企業だった。
その会社は、障害者雇用に先進的であると表彰されるほど、障害者フレンドリーな会社であった。障害者雇用は近年拡大しているとは言え、給与面ではまだまだ低いところが多い。その面に関しても、障害者雇用なのに自立して生きていけるほどもらうことができた。私の会社の待遇の良さを知り、母は「今いる職場以上の環境は多分ないよ。あんたは本当についている」と言った。
私は確かにめちゃくちゃついていた。その運の良さを痛感する度に、自分と同じように障害を抱えていて、厳しい労働環境で働いている人々に後ろめたい思いを感じた。私は特別な才能を持っていたわけでなく、ついていただけなんだ、私は特例だったのだ、と。
ならば、私の「特例」が誰かにとっての「前例」になるように。障害者でも立派に働けることを証明して、後進に道を創るのだ、と。毎日必死に仕事にのめりこんだ。
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そんな風に仕事に取り組み、1年と2か月が過ぎた頃、私は突如休職した。
在宅勤務が終わって疲れはてて、すぐにベッドに横になり1日12時間も寝るのに、常にまとわりつく眠気と疲労感。食欲不振でご飯が食べられない。37.5℃前後の微熱が2週間ほど下がることはなく、持病の潰瘍性大腸炎と過敏性腸症候群のせいで毎朝10回はトイレに駆け込む。椎間板ヘルニアが悪化し、週に3度のリハビリ通院。左耳の聞こえが悪くなった上、異音が常にしたので、耳鼻科に行くと、心因性の突発性難聴と診断される。
常に落ち込みが強く、携帯電話が鳴る度に、会社からではないか、とビクビクする。仕事と大学が休みだった母と弟がいるリビングで一日仕事をしていると、「あんた一日中ためいきばっかりついていたよ」と言われる。
日に日に机に向かいパソコンを開くことすら苦痛になり、「すみません、体調が悪くて」という当日欠勤は増えていった。「大丈夫?体調優先でいいからね」という上司の気遣いの声に、「こんな当欠ばかりだったら、呆れられるだろうな。見捨てられるだろうな」と穿った思い込みをしてしまった。
認知のゆがみであると今なら分かる。でも当時の私はどんな優しい言葉をかけられても、その言葉をそのまま受け入れる余裕がなかった。
ためいきばかりの娘を心配した母に「話を聞くよ」と場を設けてもらった。何が辛いのか、どう辛いのか、少しずつ話していく。「もう無理だ」と、気づけば涙が零れ落ちた。満身創痍だった。
すぐ次の日、かかりつけの精神科を受診することが決まった。そして、翌日受診してすぐ、休職が決まった。
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休職は4か月に及んだ。最初は仕事を休む罪悪感が強く、始業する時間が近付く度、電話が鳴る度、折に触れて会社のことを思い出しては落ち込んでいた。気持ちの切り替えが上手くいかず、自分から望んで閉鎖病棟にも入院した。2週間ほどのことだった。
退院してからは、少しずつ体力も気力も戻るようになり、本を読んだりエッセイを書いたりして、比較的穏やかな休職生活を送ることができた。
休職中のエッセイ執筆。それは図らずも、障害者としての現実を見て金融機関で働くことを決める前に抱いていた、私の夢であるジャーナリストを想起させた。
自分がどれだけ恵まれた環境にいることを忘れてしまいそうになるくらい、エッセイを書くことは楽しかった。次第と私の心は、今の職場に復職することと、大学などに入りなおして文章を学ぶことを天秤にかけるようになっていった。ここでも、夢と現実の狭間で揺れる私がいた。
そして4か月が経ち、私は職場に戻った。スマホには、大学の文学部や専門学校等のサイトがいくつもブックマークが残されていた。これらは、現実を見た私が選ばなかった「もしも」の未来だ。
私は夢を捨てたのだろうか。いいや、そうではない。今すぐ夢のために大きなアクションを取らなければ、という大きすぎる「気負い」を捨てただけだ。
大学に行かなくても、専門学校で文章法を学ばなくても、それが少し先の未来になっても、諦めたわけではない。少しずつでも今こうやってエッセイを書いている1分1秒が、夢に繋がることを信じている。大人の夢追い人はより気が長く、よりしつこいのだ。
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そんな夢を見る今の私と仕事との距離感。私は太陽と地球のそれを目指している。
太陽と地球の距離感は奇跡的らしい。地球よりやや太陽に近い金星の表面温度は462℃と熱すぎる。地球より太陽に遠い火星は、マイナス50℃と寒すぎる。遠すぎても、近すぎても、我々生命体はいきいきと生存することができなかったのだ、と。生物が生きていくことのできるこの領域を、ハビタブルゾーンと言うらしい。
仕事にのめり過ぎて近すぎても、以前の私のように燃え尽きてしまう。逆に1日8時間も費やす仕事を、愛なく割り切り過ぎても、心が寒々としてしまうだろう。仕事を頑張りつつ、それでいて私の夢が生き続けられる。そんな自分にとっての心地よい距離感、仕事と夢の「ハビタブルゾーン」を、私は今日も探している。
そして、こんな私の特例が、誰かにとっての前例となって励ますことができればいいな、と性懲りもなく思ってしまう。もう気負いすぎないつもりではいるけれど、こんな私はやはり欲張りでしょうか。