「個性が無いね」
と、当時私の雇い主だったその人は冷たく言い放った。
私の為に言ってくれたのか、それとも個性が無い人間に店を任せたくなかったのか、その言葉に愛がこもっていたのかは、正直今でもわからない。少なくとも、クビにするつもりは無いにしろ、なんとなく周りに染まる私の姿を見ていられなかったのは確かだろう。そして、私自身もその言葉に反論できずにいた。

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「個性ってなに?どうやったら生まれるものなの?今のままじゃどうしてダメなの?」
その日からわたしはひたすら悩んだ。来る日も来る日もとにかく悩み、悩んだ末に何も生まれなかった。
きっと「自分の個性とは?」と悩んだ時点で個性を殺していたのだ。自分らしさを見失い、人と自分の違いを見つけることに必死で、結局なにをしたいのか、自分はこれからどうなっていきたいのか、それすらもわからなくなっていた。

悩んでいた当時、私はまだ20代前半で、社会に出たばかりだった。周りについていくだけで精一杯、自分らしさを出す余裕が無かったのだ。
つまりそれは、心の底から人生を楽しめていなかったということ。忙しさを言い訳にして、自分の良さを周りに知ってもらう努力を怠っていたのだ。
そんな日々を送るうちに、「量産型のイマドキ女子」というレッテルを貼られ、何をするにも「ヤバい」が口癖になっていた。
素晴らしいものを自分なりに表現する力や語彙力も乏しかった当時の私。きっとそれが「個性の消失」に繋がっていたことは明白だ。

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自分の本当に好きなこと、これからのビジョン、何もない空っぽな私。そんな状態が3年ほど続いた時、ある人に言われた言葉がきっかけで、自分が知らなかった自分の個性に出会うことが出来た。
「あなたっていつも明るくてポジティブで、そこにいるだけでパワーを貰える感じがする」という言葉だった。
たしかに、ネガティブな言葉は普段から使わないようにしていた。「疲れた」ではなく「やりきった」、「仕事が大変だ」ではなく「やり甲斐がある」など、なるべくポジティブな言葉に言い換えて発するように日頃から気をつけていたのだ。
自分の中では自然なことになっていたが、その前向きな精神を見ていてくれる人がちゃんと身近にいたことが、ただただ嬉しかった。そして、私の笑顔と言葉に励まされる人がいるということも、私にとって大きな自信となった。

20代後半になった今、自分の個性で悩むことは一切なくなった。私は私らしく、明るくポジティブにいること。それは私が私を最大に愛せるということ。それに気づくことができたから。情報を発信しやすくなった現代では、人と被らない個性を公にしていくのは難しくなってきたが、逆に言えば発信しやすい環境が整っているとも言える。
当時働いていた職場は退職してしまったが、もし、当時の雇い主に会った際は、堂々と個性と自信に満ち溢れた顔で言ってやりたい。
「これが私です。この世に私は私しかいない、唯一無二の存在です」と。