「あ、失敗した」
一番最初の失敗は、Nintendo Switchを買った時だったと思う。
お金を稼ぐようになって3年、自分のために買い物をするとき、満足したことがなかった。

「欲しい物がありすぎて万年金欠なんだけど」
「今月カードの支払い30万超えたわ」
「何をそんなに買っているんですか?」
友人や職場の先輩との会話で繰り広げられるこれらの言葉に、はてなを浮かべる私。欲しい物がありすぎて困るという感覚が私には分からない。
私は昔から物を欲しがらない、新しいものに興味がない子だったようだ。
「欲しい物があったら買ってあげるから言ってね」
あまりにも何も欲しがらない私に、母親はよくこの言葉をかけていた。
おそらく厳密にいえば、欲しい物ストライクゾーンが限りなく狭い、の方が正しい。
本当に欲しいと思うものは、いくら高かろうがお金を惜しまない。それが数十万する海外旅行の時もあれば、高級な服の時もあった。
本当に欲しけりゃ買うのだ。

◎          ◎

しかし、社会人になってからの私は、その瞬間欲しいと思って買ったものに対して、しばらくすると激しく後悔するようになった。
それはきっとストライクゾーンを無理矢理にでもこじ開けたことが原因だと考察する。

お金を稼ぎ始めてからの私は、お金を使わなければという気持ちが芽生え始めた。
使わなければ、何のために仕事をしているのか時々わからなくなるのだ。
私の中では、お金を使って幸せになること=仕事のために生きていない、という方程式が出来上がっている。
そのため、これまでは本当に欲しい!だけに絞っていたストライクゾーンを、まあ欲しいかも?くらいの領域まで広げてしまった。
すると、あら不思議、瞬間的にいろんな物が欲しいという欲が高まっていった。
そしていざお金を使うと、その瞬間はドーパミンが放出されるためテンションも上がるが、数日経つと激しく後悔するというわけだ。
それを繰り返すうちに、最近は買い物して後悔することが怖くなり、物を買うこと自体への警戒心が高まっていった。
それでも頑張っている自分を労わるために物を買ってみるのだが、また後悔する。
私の負の買い物連鎖は止まることを知らない。

◎          ◎

最近は少しだけ趣向を変えて、モノではなくコト、いわゆる新しい体験へ投資してみるという方向でお金を使ってみている。
この前は最近好きなピアニストのコンサートへと足を運んでみた。
これまでアイドルのライブに行ったことはあったが、ピアノコンサートは初めてだった。その人のピアノは好きで、YouTubeで数えきれないほど動画を再生していた。
だが、無料で聞くことのできるこの時代、あえてお金を払って聞きにいくというのはいかほどのものなのか、会場に行く前から一抹の後悔を抱えつつ、その日を迎えた。

コンサート終了後、会場を後にした私は、とても晴れやかで久しぶりに心からお金を払った価値があったと感じた。
動画と生演奏は何もかも違った。会場の音響から響く音色が全身を包み、ビリビリと伝わる緊張とピアニストの感情が自分の中に流れ込んでくるようだった。
コンサート終了後も後悔が襲うことはなく、ただただ満足感だけが残った。
久方ぶりに満足のいくお金の使い方ができ、安堵したのを覚えている。

◎          ◎

物はいずれ飽きる、その飽きこそが自分が汗水垂らして稼いだお金を使った後悔に繋がっている。体験であれば瞬間的な快楽であるがゆえに、飽きもない。
うまい買い物の仕方を見つけたのかもしれない。
とはいえ、モノを買わなければならない時もあれば、瞬間的に欲しくなる時もある。
もしかしたらまた後悔するかもしれない。
そんな時はコトにお金を使って成功体験を積んでいけばいいと楽観視しようと思う。
私の買い物リベンジはまだまだ続くようだ。