これまで私は誰かから浴びたネガティブな言葉や態度に傷付いたり影響を受けることがたくさんあった。
けれど逆に、人生をポジティブな方向へと変えるような言葉や人には、推しや心の拠り所にしている存在を除く実生活では出会った記憶が無かった。
だから今回のこのテーマ募集を見た時もスルーしようとしたけれど、考えるだけならタダだからと、一応書けるかどうかを考えてみた。
そうすると、1つ思い浮かんだ言葉があった。
それは自然といつも心の中で口ずさむひとこと。何かを始める時に逃げていた昔の自分と、とりあえず行動するようになった今の自分との境目にあった変わるきっかけの言葉だった。

不安を隠すように、おちゃらけたり気が強い自分を演じていた

私は今も昔も、口が達者で気が強くてせっかち。じゃじゃ馬だと言われる。
でも本当は臆病で弱い。自分のやる事なす事、存在にさえも自信がない。必ず後からなぜあんなことを…と考え続ける。いつも潰されそうな大きな不安と後悔に駆られている。
それを隠すために私は幼い頃から、おちゃらけたりしながら気が強い自分を作り上げ、自分を奮い立たせていた。
けれども根っこはいつまでも変わりがない。
だから、土壇場の決断や行動をする時に脆く弱い。自分の思考さえも無かったことにしてしまうような逃げ癖や、いつか誰かがという他責的になる部分があった。
奮い立たせて強く見せても、いつも病的なほどの不安に襲われて自信の欠片もない自分であることには変わりがなかった。

高校3年生の秋口、大学受験の面接試験の本番までのカウントダウンが刻々と進んでいる時もそうだった。
どれだけ持ち前の勝気さで面接練習を上手く形にして褒められても、その言葉を心から受け入れることができず「絶対無理」「落ちる」「できない」「どうしよう」と連呼して逃げていた。
受験日がいよいよ今週末に迫っている日にも心は半ば逃げ出していた。不安でどうしようもなくなっているような私に、当時の担任の先生が「案ずるより産むが易しだから」と言った。
初めて聞いたような言葉に私は、忘れないように「案ずるより産むが“やすひで”さん」と、担任の先生の名前を拝借して少しおちゃらけて口ずさみ、そして忘れないうちに意味を検索した。
「物事はあれこれ心配するより実行してみれば案外たやすいものだ。」

この言葉って私のことじゃん!私のためにあるじゃん!と思った

確かに私はまだ見ぬその時を考えてジタバタとしてる、どれだけ逃げたって夜寝て朝起きれば本番のその日は来てしまうから結局やらざるを得ないし、面接が始まればあとは終わるだけで、喉元過ぎれば熱さを忘れるのも知ってる。ひとり脳内でそこまで考えた時、この言葉って私のことじゃん!私のためにあるじゃん!と思った。
その後も相変わらず「無理」「できない」と口に出していたけれど、少し腹をくくることができた。
面接本番はあがり症で頭が真っ白になり逃げ出したい衝動をなんとかこらえ、帰りには1人反省会が盛大に行われたが、見事合格することができた。

その後の人生を少しポジティブな方へと進めるための大事なお守りになった

今でも、土壇場の決断や行動の前後に精神的不安が強くなり脆く弱いのは以前と変わっていない。けれど、前の自分より逃げなくなった。他責的にならなくなった。
「とりあえずやる」「やらなきゃ何も始まらん」という思考が強くなり、実際に行動してみることが多くなった。
そんな時、呼吸をするくらい自然に「案ずるより産むが易し」と心の中でお守りのように唱えている自分がいる。

恩師にはあの時の言葉が私のターニングポイントのひとつであることは言ったことがない。
この投稿が掲載されたら、恩師に連絡して読んでもらうつもりだ。実は先生に言われた言葉があの時の受験だけじゃなく、その後の人生を少しポジティブな方へと進めるための大事なお守りになっているのだということを伝えるために。
私は、高校3年生の秋、受験直前に恩師から言われた「案ずるより産むが易し」という言葉に出会って、人生を前に進められるような生き方に変わった。