"お局"、それは霊長類ヒト科の雌。
私がその生き物に初めて遭遇したのは10代の時だった。
初めてのアルバイト先で私に衝撃を与えたその生き物は、友達のアルバイト先や掛け持ちを始めたアルバイト先にも生息していた。
そしてその生き物は私が社会人として就職してからも絶滅をすることはなく、色々なタイプとして姿を現し、現在も全国に生存し続けている。
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服装やメイクに口を出す小言や嫌味に始まり、安定することを知らないヒステリーと理不尽の嵐。
高すぎるプライドと激しすぎる気分の浮き沈みは、周りの人間を常に不愉快にした。
柔らかさを知らないキツい口調から放たれる謎のマイルールは自身の非を決して認めることはなく、相手のミスを根に持ちながら自身の苦労話を聞かせることに酔い、余計な一言を発し続けた。
人によって態度を変える下品な振る舞いに寒気を感じては、人間としての弱さも垣間見た。
だがそれは時間が経つことで、私の中にある"お局"という存在に"可哀想な人"というラベルを貼らせるのだった。
私は個人的にイジメや嫌がらせというものは全て、嫉妬という感情によって生まれるものであると思っている。
自分には決して手にすることが出来ないものを、有難さを感じることもなく易々と当然のことのように疑いを持たずして手にしている様や、自分の劣勢に相手を通して気付かされた時、イジメや嫌がらせという形の自慰行為をする種類の人間がいるのだと思う。
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"お局"の場合、それは、若さというものに反応した嫉妬なのだろうと感じる。
いくら世の中の平均初婚年齢が遅くなろうが、高齢出産の年齢が変わることはないのだ。
企業がジェンダー平等を叫ぼうが、出産をするのは女性だけなのだ。
女はいつだってタイムリミットに追われている。
私は"お局"が嫌がらせをすればするほど、「この生き物は黙っていられないほど私が羨ましくてたまらないのだ」と心の中で一人、ほくそ笑んだ。
期限付きの若さというものだけを強い武器にして。
しかし、"お局"という存在も悪だけではなかった。
"お局"という生き物がいる多くの職場の特徴として、その存在は時に職場仲間に一体感という作用を持たせてくれる。
つまり、"お局"が自ら悪役を買って出てくれているのだ。
そうなると、毎日の仕事はアドベンチャー映画のワンシーンとしか見えなくなっていく。
可哀想で勇敢な主人公の私たちと、意地悪で嫌われ役の"お局"。
"お局"は、職場ゴシップのネタであり、我々のオモチャだった。
だが、自分が年齢を重ね、"お局"側の年齢に近づくことで新しく見えてくる世界もあった。
若き日に未婚の"お局"を見下していた私は、未来の女性の在り方や未来の自分の可能性をも否定していたのだと気付く。
そして、未婚で会社に居続ける行為を図々しく恥じるべき事かのように、無意識下で思考していたことを恥じた。
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しかしそれは、幼少期から家庭や学校やメディアという形で多くの子供に無意識に刷り込まれている、"独身を笑う社会"という長きに渡る文化も関係しているのだろうと感じる。
そしてそこには若き日に"お局"から嫌がらせを受けた母親や女性たちの個人的感情も入り込んでいるのだろう。
女性は女性によって傷つけあっているのかもしれない。
しかし人間は、共感が出来なくても理解は出来る生き物だ。
人を理解することは明日の自分を楽にする。
"お局"よ、私の人生での悪役を担当してくれて、私を成長させてくれてありがとう。