「あんな文章で小説家になりたいなんて言ってるの?」
小学校5、6年生の頃、母から言われた言葉だ。
もう15年近く前の記憶だが、未だにはっきりと覚えている。あのとき感じた、ずきりとした痛みと共に。
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自分で物語を創ってそれを文章で表現することの面白さに私が気づいたのは、7歳の頃だった。まだページが余っているけれど学校では使わなくなったノートや、裏面が真っ白の折り込みチラシをかき集めて、ひたすらに文章を書いた。
パソコンやスマートフォンでの文字入力が当たり前になった今から思うと、手書きで長文を書き続けたあの頃の執念というか無我夢中さはなかなかのものだったなと、我ながら感心してしまう。子どもだからこその没入感だったのだろうか。
親には言わずにこっそり書いていたが、子どもの頃は何かにつけ「将来の夢は?」と問われたり自分の思いを書かされたりする場面がある。主に学校で。
そのときは素直に「小説家」と答えていた。提出物や掲示物は親の目に触れることもあるから、私が抱いていた夢自体は親に認知されていた。
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父がデスクトップパソコンを購入してからは、内蔵のメモ帳機能をこっそり使って小説を書くようになった。当時はただただ、パソコンの目新しさと手書きよりも圧倒的な高スピードで文章を綴れる便利さに目が眩んで、何も考えずに自分が書いたものを保存していった。家族全員が使っているパソコンだというのに。
おそらく父が最初に見つけ、それを母に伝えたのだと思う。
子どもの頃の私は、母のことをひどく恐れていた。肯定された記憶が、あまりない。でもそのことに気づいたのは大人になってからで、子どもの私にとっては、母の言うことは絶対だった。教育熱心な人でもあったから、「勉強はやらなければいけないものなんだ」とロボットのように取り組んでいた。
だから学校の成績だけは良かった。「優秀だね」「真面目だね」と先生やクラスメイトから口々に言われるたび、私は透明人間になったような気がしていた。母という強固なフィルターが、私の前には常にかかっていた。
母にだけは見つかりたくない、読まれたくないと思っていたのに。
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「小説でお金を稼いで食べていける人なんてほんの一握りよ?」
「あなたの文章はレベルが低すぎてびっくりしちゃった」
定期的に母に連れられて訪れていた図書館で、あるとき唐突に言われた。自分が書いたものが、母の目に届いてしまった。埃っぽい本の匂いが充満する静かな館内で、自分の心臓の音だけがうるさく響いた。
手放しで褒めてもらいたいとは思っていなかった。けれど、何もすべてを否定しなくてよかったんじゃないかと未だに感じる。大人になった今の私は冷静に当時を振り返れるけれど、15年前はただただ夢を切り裂かれたような気持ちになった。
もう、母の前で小説家になりたいなんて言わない。
もう、母には絶対に自分が書いたものを見られたくない。
いや。もう、小説なんて書かない。
一度はそう誓ったけれど、書くことだけはやっぱり何故だか諦めきれなかった。
たしかに切り裂かれはしたものの、その傷口は大きく燻り、火種が生まれた。時間はそうかからず、それは勢いよく燃え上がり始めた。
――書くことで、生きていきたい。いつか自分が書いたもので、母をあっと驚かせたい。
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それから紆余曲折はあったし、決して稼ぎは大きくないけれど、今の私は文章を書くことを仕事にしている。かつて抱いていた小説家という夢とは違う形ではあるものの、傷だらけになった子どもの頃の自分を少し救えたような気持ちではいる。
さまざまな事情があってここ数年絶縁状態になっていた母には、結婚が決まったときにメールで久しぶりに連絡をとり、「まだまだ未熟だけど、今はライターの仕事をしているよ」と伝えた。返信はもらえなかったけれど、逃げずにまっすぐ伝えられてよかったと思っている。
創作活動からは、もうしばらく離れてしまっている。でも、切り裂かれた夢は何もそのまま丸めてゴミ箱に捨てたわけじゃない。諦めの悪い私は、小説だってまた書いていきたいと思っている。
いつか、本として形にできたらなお最高だ。
読書好きな母がそれを手に取り、ページをめくる日が訪れたら本当の意味で私は救われるのかもしれない。