社会人5年目、やっと仕事の見方が変わった。
「休みの日は仕事の事を考えない」
当たり前のような事だけれど、この事を思うようになって心が救われた。
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新卒で入社した職場で働いた2年半を思い出すと、今でも動悸が激しくなる。
新入社員の1年間は、出社時間の2時間前には職場に着き、先輩方が来る前に準備を済ませる毎日。仕事内容は分担だったので、自分の仕事は決まっているけど、一日の流れを逆算し自分の仕事を素早く終わらせて先輩方の仕事もやる。
そうすることで、大人のご機嫌が良くなる。
誰かのミスを自分になすりつけられても不快な顔せず、悪くなくても新入社員だからまず謝る。
とにかく先輩社員を立てる。目配り、気配り、心配りは第一に。休日は先輩方とランチなどの予定を立て、親睦を深める。とにかくご機嫌を損ねないように努める事。ゴマすり上手であれ。
非常識のようなことを社会人の常識として私の頭に叩き込んだのは、二つ年上の新入社員教育係の先輩だった。
当時19歳、社会に出たばかりで右も左もわからない私は全て鵜呑みにした。
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社会人2年目になり少し余裕も出てきた頃、他の職場で働く友人の話と比べ、何かがおかしいと思い始めた。
その時の私の立ち位置は、新しく入社した新入社員と近い存在であることだった。年が近いこともあり、頼ってくれて相談もしてくれた。時には「ジジさんがいないとやっていけない」と言ってくれる子もいた。
そうしていると、時間問わず休みの日まで仕事の話や相談の連絡が来るようになった。始めは頼ってくれている嬉しさがあったけれど、仕事とプライベートの区別がつかなくなっていることが辛くなった。
その頃から始まったお局様からの新入社員狩りという名の虐め。順番に回ってくる弱い者虐めだった。
露骨な虐めと共犯にしようとする人たち。私はどの立場にもつきたくなかった。汚いやり方で社会に出たばかりの子たちの心をズタボロにしていくのを見ていられず、私は動き出した。
彼女たちを全力で守った。「かばう」その行動で私が2年間積み上げてきたものが、一瞬にして崩れた。
その日から虐めのターゲットは私に変わった。一か月我慢しよう。一か月我慢出来たから、もう一か月頑張ってみよう。
五か月たっても終わらなかった虐め。上司に相談しても変わらなかった環境。仕事はそつなくこなしていたし、どちらかというと「ジジはできる女だ」と褒められるほど人以上に仕事が出来ていたと思う。
「かばう」ことが気に食わなかったのか、変わってしまった。
仕事の事を考えるだけで涙が止まらなくなり、笑えなくなった。私の体も限界だった。好きな仕事だったけど、こんな思いしてまでいる場所ではないと思い退職を決めた。
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今でもあの時のことを思うと動悸が激しくなったり、職場の先輩方に会うと記憶がフラッシュバックして苦しくなる。
有給消化を含め、休職した時に身近の大人や学生時代の友人や先輩の話を聞き、仕事の見方を考えた。
その中でも響いたのが、恩師の「人生の3割が仕事。7割が睡眠、食事、遊びなどのプライベート」という言葉だった。1日の生活で見たときに大半は仕事であるけれど、人生で見てみたら、たったの3割。それには驚いた。
やりたい仕事と職場環境が整っているホワイト企業はそうそう見つけられないのはわかっている。一ついいものをとるためには一つ妥協することも大切だと思い、私は「良い職場環境」に重きを置き職探しを始めた。
社会人4年目に出会ったのが今の職場だった。某ガソリンスタンドの本社で事務仕事をしている。この仕事は前の仕事に比べて、平日出勤で土日祝が休日の固定休だ。
本社には役職者の他に幅広い年代ではあるが、私を含めた女性が4人の計8人のみ。私が一番恐れていた虐めや干渉的な人やお局様のような人はだれ一人いない。
仕事は仕事。休みは休みと切り替えができる人ばかりで、休日に仕事の連絡が来る事はなくなった。
この職場に転職してから、仕事に行きたくないと思ったことはほとんどない。
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一時は社会復帰困難になるのかなと思ったけれど、あの時があったからこそ今の環境を幸福に思える。そして、週末のために平日は頑張って働き、休日は存分に休む。
そんな心持ちでいることが、私に合った仕事との距離感なんだと思う。
ここまで読んで下さった皆さん、毎日お仕事お疲れ様です。仕事には楽しいことや嬉しいことがある分、悲しいことや辛いことも付き物です。
どうか無理せず、お体大切にしてくださいね。