自分の中にあるドロドロとした感情を、ぶちまけてしまってもいいんだ。わたしはそのために文章を書き始めたのだから。
何を書けばいいのか、何のために文章を書いているのかを見失ってしまったわたしにそう気づかせてくれたのは、ある小説のほんの短い一節だった。
小説を書いていた私はスランプに。指導する教授は黙ってC判定をつけた
当時大学2年生だったわたしは、ちょっとしたスランプに陥っていた。大学の課題で毎日のように小説を書いていたのだけれど、何を書いても「こんなしょーもない小説、誰が読むんだよ……」と頭を抱えてしまうようなものができあがってしまうのだ。
自分の書いたものに自信を持てない、そういう時期は誰にだってあると思う。じゃあ、他の人が読んだら「おもしろい」「いい文章だ」と思ってくれるのかというと、そういうわけでもなかった。わたしの書いたしょーもない小説を読んだ教授は、黙ってその小説にC判定をつけた。
要はつまらないのだ。わたしの自己評価が問題なのではなかった。わたしは正真正銘、しょーもない小説を書いていたのだ。
そのときのわたしには、自分が何を書きたいのかがわからなかった。ただ大学の課題をこなすためだけに文章を書いていた。課題には期限がある。自分が何を書きたいのか、じっくり考える時間なんてなかった。書きたいものがないから、当たり障りのないことばかりを書いた。そりゃあおもしろいものなんて書けないに決まっている。
もうやめよう…と思っていたときに手に取った本の一文に衝撃を受けた
もうやめちゃおっかなぁ、と思った。
小学生の頃から文章を書くのが好きで、その技法を学ぶために文学部の創作コースに入ったのはいいけれど、入学以来「これだ!」と思えるものを書けていない。
才能がないんだ、たぶん。あんなに好きだったのに、最近は文章を書いていても楽しいと思えない。もういいものを書こうなんて思わず、課題をこなすことだけに集中して、卒業までやり過ごしてやろうかな……。
半ば諦めたような気持ちで、毎日を過ごしていた。
そんなある日。新しく本を買うのも億劫で、自室の本棚から適当な本を引っ張り出して、パラパラとページをめくりながら暇をつぶしていた。
そのとき読んでいたのは、太宰治の「斜陽」。没落貴族のかず子とその周囲の人々の破滅を描いた小説だ。冒頭にあるかず子の母の食事の描写が好きで、暇なときはそこばかりを繰り返し読むのがお決まりだった。
そのままパラパラとページを進めると、かず子の弟・直治の遺書が綴られたページに辿り着いた。その中の一節が、それまでは特に注意を引かれることもなかったはずの一節が、そのときは衝撃をもってわたしの目に飛び込んできた。
「僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです。生きていたい人だけは、生きるがよい。人間には生きる権利があると同様に、死ぬる権利もある筈です。」
書いていいんだ、こんなことを。
自殺はだめ、命を粗末にしてはいけない。周りの人を悲しませてはいけない。死ぬくらいなら逃げろ。そんな言葉が溢れる世の中で、自ら死を選ぶことを肯定するようなそのフレーズは、わたしに「書くこと」の自由を思い出させた。
自分の書きたいものを書けばよかったのだ。気づかないうちに制約をかけていた
自分は何を書きたいのか、そんなことは考えるまでもなかったのだ。
小学生だったわたしが、初めて自分の欲求に従って文章を書いたあの日。わたしはこう思っていたんだ、これからは誰にも話せない自分の思いを、全部文章にしてぶちまけよう。
大学の課題だから。教授が読むから。そんな意識が、気がつかないうちにわたしに制約をかけていたのかもしれなかった。
人の目を気にして心の奥底に隠していた感情を書いてみよう、物は試しだ。
わたしは自分の中のドロドロとした感情――独占欲、加虐心と被虐願望、傷や痣への執着――を小説にして、課題として提出した。返ってきた評価はA判定だった。
自分の書きたいものを書いて評価してもらえた、それも嬉しかったけれど、久しぶりに文章を書きながら「楽しい」と思えたことが何よりも嬉しかった。それを機に、わたしはまた文章を書くことに夢中になった。
あれから5年以上が経った今も、わたしは文章を書き続けている。「斜陽」が思い出させてくれた書くことの自由を、わたしは一生忘れないだろう。