エッセイを書いたあとに甦るのは、決まって過去のことだ。

本が好きで、文集に「小説科」になりたいと書いて大きなバッテンをもらった小学5年生。
赤ペンで「科」の字が「家」に直され、貴方は小説家には向いていませんね、笑。漢字の書き取りをもっと真面目に頑張りましょうと書かれていた。

頭がよくないとなれない職業なのかと悲しく思ったが、それ以来は人に夢を告げることなく淡々と学生生活を送った。
中学にあがると時々、作文が文集に載ったり、弁論大会のスピーチ原稿を書いて発表したりする機会があり、私は自分にわずかな可能性を感じていた。

私は文豪の神様に寵愛を受けている。
それは中二病のような病に等しく、「寵愛'」という神秘的な言葉にひとりで酔いしれ、興奮しながら演劇部の脚本と携帯小説を手掛けた高校時代。

作家になりたい、いったいこの夢の舟は何処に行き着くのだろう。
楽しい、書きたい、その想いだけではこの先の「進路」という名の「針路」は決まらない。
当然に高校のうちにデビューすることはなく、それでも文豪の神様に寵愛されているのだから……とますますこじらせながら私は大人になった。

公募雑誌を片手に取り組んだ執筆。エッセイに出会ったのはその頃だ

社会人になりながら、私はますます精進した。
公募雑誌を片手にボーナスでノートパソコンを買い、一心不乱に取り組んだ。
エッセイに出会ったのはその頃だった。
募集ガイドのジャンルにエッセイ、小説、随筆募集と書かれており、私は初めて自分の事を書いて投稿した。

そして初めて一番下の賞に入り、図書カードをもらった。
審査員からのコメントには「エッセイなのに小説のような滑らかな書き出しが個性的で、エッセイ臭さを感じさせないユニークな文章に特別賞を送ります」。
自分の事を書いてもいいのだ。
そんなエッセイ最大の魅力が、カチャリと私の文才のピースにピッタリとはまる音が聞こえた。

自分の夢を書いた文集で、小説家には向いていないと言われた私が、自分の事を書いたエッセイではじめて評価された。

もし文豪の神様がいたら、これからの私に微笑んでくれるのだろうか

長きにわたる人生の伏線回収を無事に果たし、こうして私の長い長い自分探しの旅はようやく終わりを告げようとしている。
旅に出たつもりはないのだが、人は知らず知らずのうちに自分を探して旅をしているのかもしれない。旅をしているうちに旅にでてしまったことすらうっかり忘れてしまう、なんてことは案外よくあることだ。

相も変わらず、私は携帯小説も、小説も投稿しながらも、今ではエッセイに出会い、そちらにばかり贔屓気味である。
エッセイを書き初めてからは、自分を見つめ直す機会が増えてなんだが恥ずかしく思う。
はじめから文豪の神様は私にはいなかった。

ただ私が、文章を書くことに対して底抜けに前向きで、天然温泉のように湧き出した物語をひたすらに綴っていただけだったのだ。
私が私に取り憑いて書いていたのだから、それはもう神様でもなんでもなく私自身である。
それでももし文豪の神様がいたら、これからの私に微笑んでくれるだろうか。
それは神のみぞ知るところだろう。