自分で言うのもなんだが、「しっかりしている」と言われることが多い。
特別何か心がけていることがあるわけではないが、真面目くらいしか取り柄のない私だ。目上の人の言葉遣いや配慮、そういった小さなものが積み重なって得られた評価だとは思う。

しかし、その印象があるが故に苦しむこともある。特段仕事ができるわけでもないのに、自分のキャパ以上の仕事を割り振られたり、特異な営業との仕事を割り振られたり。
つまり『期待されがち』になるのだ。

だからあの時、まだ自分の限界もわからないまま、期待に応えられなかったこと。私には想像できなかった上司の苦悩に、謝ることはできないだろうかと考えてしまうのだ。

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新卒で働いていた会社は、上場企業ではあったもののベンチャー気質が強く、若手からどんどん仕事のチャンスがあった。
それは昇進のチャンスも同様で、ある先輩は転職から1年半、26歳の時にはリーダーになってメンバーのマネジメントを始めた。

そのメンバーの1人になったのが私だった。
メンバー2人とリーダーの3人。当時社会人2年目になりたての私だったが、支社にいたメンバーの半分は新卒と2年目。同期に比べたらしっかりしていると見られた私が、初めてマネジメントに挑戦する先輩のチームに振られるのは必然であったようにも感じられた。

「しょうがない」。そう思って始まった社会人2年目は、想像以上にきついものになった。
1年目に私に仕事を教えてくれたリーダーは基本を大切にし、質を高めることが長期的な成長に繋がると考えるタイプ。対して新しいリーダーは数字にこだわり、量をこなしていくことを最優先にするタイプであった。

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方向性の違うリーダーのやり方にもちろん戸惑った。どちらの言い分もよくわかるし、最終的にどちらも求められるのはわかる。
しかし、社会に出てまだ間もない自分に両方をこなすキャパシティはなかったし、変化に適応しろと言われても「はい、そうですか」と即こなすのは難しかった。

量シフトの体制になってから、日々の業務量は増え、一つひとつの案件に向き合う時間は減った。しかし、週に1回あるリーダーとの1対1のミーティングでは、もっと質も高めようと指導を受ける。
リーダーから受ける内容としては何ら間違ってはいないのだが、当時の私は一気にいろんなものを求められてキャパオーバーになっていた。キャパオーバーな自分にも容赦なく降ってくる要望に、対応できない自分が情けなく、ミーティングでは毎回涙を流していた。

悪いことというのは続くもので。終わったはずの案件の追加修正やコロナでの在宅ワークによる環境変化に耐えられぬ不調。当時の私は限界で、テレビで流れてくる芸能人の訃報を見て「自分が代わってあげられればいいのに」とさえ思っていた。

「○○さんはもっと早く対応してくれたのに」
本社の営業から掛けられたその言葉は、私の心を折るのに十分だった。気づいた時にはリーダーに「もう続けられない」と伝えていたし、すぐにマネージャーたちに繋いでくれた対応はあの時できたベストであったと思う。

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当時のリーダーと同じ歳、26歳に私もなった。もし私がその仕事を続けていたとして、リーダーのようにマネジメントをできる自信もないし、当時の私のような厄介なメンバーを管理できるとも到底思えない。
あの後すぐ休職・退職してしまった私は、リーダーと最後まできちんと話ができなかった。最初のマネジメントが私のような特殊パターンになってしまい、先輩には申し訳ないことをしてしまったと思う。

それから同期伝いに、リーダーが引き続き活躍していることを聞いた。
そもそも26歳の若さで昇進できるような人だ。今後も会社の主力として仕事に励まれることと思う。

リーダーへ。
あの時は余裕もなくてごめんなさい。私は今、別の業界で仕事もして、元気に暮らしています。
リーダーの今後の活躍を心からお祈りしています。