11月で、今の職場で働き始めて半年が経とうとしていた。私にとっての2022年は、大きな変化の年だったと言えるだろう。

2022年の2月ごろから、私はずっと転職をしようか悩んでいた。うつ病を患っているため、何度も面接を受けることでかかる精神的負荷は普通の人よりも大きく、そう簡単に事は進まないだろうと消極的だった。

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だったら、変化よりも、受容していくことを優先すべきなんじゃないか。そうやって葛藤している間に、事務所が新しい建物に移動することが決まった。
引っ越し作業をして向かったその事務所に着いて、私は思った。
「ここに私の居場所はない」と。
自分がそこで働いている情景が浮かんで来なかった。
こういう時の自分の勘は当たるものだ。大学受験の時だって、学内をオープンキャンパスで歩いてみて、自分が過ごしている風景が思い浮かんだ。そして受かった。だから、今回の勘もきっと当たるのだろう。

引っ越しをきっかけに、私は転職の準備を整えていった。障がい者雇用で転職サイトから自分に合いそうな仕事を探すのは、そう難しくはなかった。物事が上手くいくときというのは、得てしてすんなり事が運ぶものだ。
私は、自分の能力をもっと伸ばせるような気がしていた。このまま終わりたくない、という熱い気持ちがこみ上げてくる。このままずっと今の職場で働いていても、きっと私の未来は切り開かれない。だったら、今変わるしかない。
衝動に突き動かされるまま、3万円のスーツを意気込んで買って、面接を受けた。

初めから目星をつけていた会社での一次面接。経験のない職種ではあったけれど、熱意を出来るだけ伝え、面接官と私とでいい印象をお互いに持つことが出来たな、という感触があった。あっという間に二次面接まで進み、どういう訳かあっさり採用までこぎ着けたのだ。
私の、自分の可能性をまだ諦めたくない、という一心で挑んだ面接が、新たな一歩を踏み出すきっかけをくれた。

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それから新しい職場で働き始めると、前職にはいなかった、先輩と呼べる関係にあたる人がチームの中にいることに感動した。そして、自分と同い年の人が働いていることを知り、その落ち着いた様子や、いつも親切に私にレクチャーしてくれる姿を見ていて、背筋が伸びる思いだった。
その時、コンプレックスは不思議と刺激されなかった。同い年の彼女を見て、私もこんな風に、落ち着いた大人になりたい、と思ったのだ。

どうしても障害の特性上、感情的になりやすかったり、気分の上下が激しく、コントロールが難しい部分があった。彼女を観察していると、どの人の意見もフラットに聞き分けていることに気付いた。他人との境界線の引き方が上手いと、他人にも自分にもストレスにならない生き方が出来るのだろう。
好きか嫌いかの感情で人を見ることが多かったので、私は改めて、「この人のこういう意見は受け入れがたいけど、ここはすごくいいことを言うな」という分析を冷静に自分の中でするように心がけた。そうしていくと、どうしてか自分の生きづらさが克服されていくように感じた。

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人を変えるのは、結局のところ環境なのだな、と転職してから気付いた。今までの私になかったキャリアを身に付け、未経験の分野でありながら難易度の高い仕事も任せてもらえるようになった。私が変わりたいと思って手を伸ばしたことで、環境も変わり、刺激されていく中で自分の心とも向き合えるようになったのだ。

今もまだ私は変化の途中だ。このままでいい、という気持ちより、まだ見ぬ自分へ会いに行きたい、そんな気持ちがずっと私の背中を押してくれている。