忘れることのできないクリスマス、それは2015年、周囲が充実したクリスマスライフを送る中、私は一人目標に向かって突き進んでいた。
学部4年生。就職活動を終え、後は卒論をちゃっちゃとこなせば自由な生活を送ることができる、人生で一番最高の時かもしれない。しかし、これはあくまで9割の学生を対象とした一般論である。
この年の私は大学受験時に戻ったかのように毎日机に向かい、卒論と院試の両立に苦労していた。

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4年生が始まる春休みに卒論を書き始め、同時並行で研究計画書の執筆と院試の勉強をするも、最難関大学に挑んだ夏の入試は失敗に終わった。卒論をないがしろにする訳にもいかずに一旦そちらに集中すると、これまで書いてきた物の内容が薄いことが発覚し、書き留めた27000字を捨てて一からスタートさせた。
私の扱ったテーマは蓄積が厚く、読み進めれば読み進めるほど解明されている物の多さに驚いた。介入の余地はないと察した私はとにかく文献を沢山読むことに徹し、その間本当に多くのことを学んだ。大学4年間のうち、4分の3は4年生で学んだと言っても過言ではない。

一方、周囲はいとも簡単に大手企業の内定を複数勝ち取り、その中からゆっくりと就職先を吟味する優雅な生活を送っていた。
そんな私も人間関係には恵まれ、それなりに友人はいた。卒論提出日の12月には友人と打ち上げを行い、一日も休まず次の日からは後期にもう一度行われる最難関大学への入試を突破するために院試の勉強も始めた。孤独な闘いほど辛いものはなく、理解者がいない中での闘いとなった。
友人の中には研究科こそ違うものの志望していた大学院に合格した者が複数おり、気まずさと孤独感の二方に襲われた長い半年間であった。この年は年末もお正月もファミレスや喫茶店に入り浸り、勉強漬けの毎日を送っていた。

しかし、24日はほんの数時間、大学の友人と過ごした。卒論提出日に24日にプレゼント交換をする約束をし、実際に24日はファミレスに集まった。周囲がイルミネーションとショッピングを楽しむ中、私は一人喫茶店で自習をしていたが、ほんの少しでもクリスマス気分を味わえたこと、友人が息抜きの機会を作ってくれたことには感謝をした。

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何かと挑戦する人生を送ってきた私のクリスマスは、いつも潰れてしまう話は昨年のエッセイでも紹介したが、そのエッセイを書いていた去年は、数年ぶりのゆっくり過ごすことのできたクリスマスとなった。
一昨年はコロナ禍での就職浪人上がりだったため、闘いは終わっていたが家族と密かにお祝いするにとどめた。

数年前、「誰がクリスマスを恋人のものにしたのだ」という記事を読んだことがあるが、クリスマスとは自身の人生を振り返るに適した日付であり、その人の生き方が現れるものだと思っている。
多忙なクリスマスを過ごしてきた私は他の人よりも野心家で、生き方が不器用だ。27歳まで学生をして得られたのは修士号のみで、新卒で入社した職員と較べて大きくキャリアが停滞している。

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今年、数え年で30歳になる職員が集められ知事と対談するという催しに出席したが、みな私には難しい仕事をこなしており、家庭を持つ者もいた。それまでブランクがあっても嫌いでなかった人生のもくろみが一気に表出し、その日は会合終了後にショックで寝込んでしまった。
後日そのことを上司に話すと、
「確かに入庁は6年遅かったけど、君はその分、他の職員にはない経験ができているということだよ」
と言われて安心したもつかの間、現実を突きつけられた感は拭いきることができなかった。

それが辛く苦しいものであっても、これまでの人生の中に無駄だと感じた時は一度もない。なぜなら、人生とはこれまでの積み重ねによって形成されるもので、過去なしに現在の姿はないからである。
そんな私にとって周囲に反した行動を取った2015年は息苦しい時であったが、正に不器用でも、窮地に追い詰められても挑戦を諦めなかった私の人生のあり方を象徴する出来事であった。