思い返すと、高校3年間と大学1年のクリスマスイブはすべて、教会で過ごしている。
毎年「クリスマス・ヴェスパー」とよばれる夕方の礼拝に出席し、そのあとに行われる「メサイア研究部の現役生・卒業生によるコンサート」でヴァイオリンを弾いていた。

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私はその「メサイア研究部」の数少ない部員だったわけだけれど、1人で演奏するのは寂しかったので、ピアノや声楽の友人を必ず連れて行った記憶がある。
また、コンサート終演後には、牧師先生御用達のレストランに行き、皆でごはんを食べたことも懐かしい(高2の時の写真には、なぜかバナナを頬張っている私の姿が映っている)。

そもそも「メサイア」とは、ヘンデルが作曲したオラトリオ(宗教的な題材をもとに、独唱・合唱・管弦楽で構成される大規模な楽曲)のことだ。
有名なハレルヤコーラスが入っている作品、と言えばピンとくる方も多いだろうか。
「メサイア」というタイトルは、"救世主"を意味するヘブライ語"メシア"の英語読みで、その名の通り、イエス・キリストの生涯を描いた作品と言うことができる。
とは言っても、所要時間が長いことを除けば、決して堅苦しい作品ではなく、むしろ音楽としてはかなり中毒性があると私は思う。
メサイアを何度も聴いている方、実際に演奏したことのある方になら共感してもらえそうだが、「リジョーイ、リジョーイ」から始まるソプラノのアリアや、「シューワリッ」が何度も繰り返される合唱曲などは、しばらく耳から離れない。

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メサイアそのものの話はさておき。
「メサイア研究部」の普段の活動内容は、以下の通りだった。
――毎週木曜日の昼休みに集まり、お弁当を食べながら「メサイア」の音源を聴き、外部から来てくださる牧師先生のお話(聴いた部分の歌詞や音楽の解釈など)を聞く。――
この集まりはほぼ毎週行われ、皆勤だったという2学年上の先輩もいたが、他の集まりがあったり忙しかったりしたら、行かなくても良い。しばらく行けず久しぶりに顔を出しても、全く責められずむしろ喜ばれる。それどころか、部員でない人が行っても大いに歓迎される。
高2・高3ともに私が部長を務めるという、ものすごく小規模かつ部員数が心許ない部活だったけれど、非常に門戸の広い場所だったと思う。

念のため言っておくが、私はクリスチャンではない。家族や親戚にもクリスチャンはいない。
キリスト教系の小・中学校に通っていたとは言え、それまでクリスマスイブやクリスマス当日に教会へ足を運んだことは無かったし、音楽科を擁する公立高校に進学した折には、しばらく行くこともないだろう……と思っていた。
それでも、どういう巡り合わせか、進学した高校に「メサイア研究部」があり、私はそこに足を踏み入れ、部に協力してくださっている牧師先生から誘われて、高校時代のクリスマスイブはいつも教会に居たというわけである。

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4回参加したクリスマス・ヴェスパーのなかで、どの年だったかは忘れてしまったが、今でも忘れられない説教(牧師先生による有り難いお話)がある。
「キリスト教における『罪』とは、『的外れ』ということなのです」
そのクリスマスイブからしばらく経った頃、私の進路について非常に的外れな発言をした父に、同じ台詞をそっくりそのまま吐いてしまったことがある。
牧師先生が意図していたのは、そういうことではないのだろうな……とは思いながらも。
一般的に、英語では罪を"crime"と言うが、キリスト教における罪は"sin"と表現するらしい。というのは中学生の頃に聞いた話だが、やはりそれと関連があるのだろうか。
牧師先生の言葉に込められた本当の意味を、私は今もずっと考え続けている。

この説教をしてくださった牧師先生は、2年半前に、天に召されてしまった。
けれども、彼の奥様によると、メサイア研究部はまだ存続しているらしい。現在は、どんなふうに活動しているのだろう。
今年度から、私も講師として母校に出入りしているので、近いうちに覗いてみたいと思う。